沖縄で20年近く、常に満席を続ける“基地”をネタにしたお笑いの舞台があります。舞台が笑いを通して何を伝えようとしているのか、それを探ると、沖縄の感情と基地問題の実情が見えてきます。
舞台「お笑い米軍基地」が伝える“沖縄”

<コント「嘉手納基地」>
「なんねなんね?おじい」
「実は、お前は・・・(戦闘機の轟音)だわけさー」
轟音でかき消されるおじいの遺言。生活が突然中断を余儀なくされる一場面だ。
舞台「お笑い米軍基地」の企画・脚本・演出を担うのは、まーちゃんの名で親しまれる、お笑い芸人・小波津正光さん。

“まーちゃん” 小波津正光さん
「お笑い米軍基地はやっぱり共感の笑いだから、その瞬間の沖縄の人たちが、世の中の人たちが、どう感じているのかなというのを落とし込んでるつもりなので、それを刻んだ感情の記録をしてるという思いではあります」
沖縄の日本復帰から50年の2022年8月。まーちゃんにとって特別な日の公演が迫っていた。
“まーちゃん”
「結構興奮してるのかなあ、きのうもあんなに遅くまでやってたのに6時とかに起きちゃって。これがきっかけでお笑い米軍基地を始めたから、一生忘れることはない」
「柵の中にいるのはどっち」幼い頃から感じていた疑問

きっかけとは、19年前の2004年8月13日。普天間基地を飛び立ったアメリカ海兵隊のヘリコプターが、沖縄国際大学に墜落。犠牲者はいなかったが、ヘリの残骸がマンションの窓を突き破り、すぐそばでは、赤ちゃんが昼寝していたという。基地の外なのに周囲は封鎖され、日本の警察も消防も立ち入ることが出来なかった。
当時、武者修行で東京にいた、まーちゃん。あることに強烈な違和感を持った。
“まーちゃん”
「本土の報道と沖縄側の報道に、すごくギャップがあって」
誰もが恐れていた大事故が、沖縄の地元紙の紙面を埋めたが、手元に届いた東京の朝刊一面トップは、プロ野球・巨人のオーナー辞任やアテネオリンピックの開幕。その落差に衝撃を受けた。思わず漫才のネタにしていた。
<当時の漫才>
「沖縄では今、大変なことになってるんだ。お前らもこれ見な、沖縄の新聞。アテネでは聖火が燃え上がってるけど、沖縄ではヘリコプターが燃え上がってるんですよ!」
その日のことを、相方の比嘉崇さんも鮮明に覚えていた。
比嘉崇さん
「舞台上でいきなり新聞出して怒り出したのを、リアクションしてるだけでした。朝から怒ってるなあ。すごく怒ってました。僕も怒られました」
ギャップはネタになる。笑いなら問題の本質が伝わるのではないか。2005年に、ともに旗揚げした、芸人で事務所社長の山城智二さんは、初舞台をこう振り返る。
FECオフィス代表取締役 山城智二さん
「テーマが米軍基地でシビアですし、やっぱり常にみんなそれは表立って気軽に会話してはいけないような空気感が常にあったので、それを舞台にしているという恐怖感はあったんですけどね、でもそれをパンと超える様な笑いがあったので、観客と舞台上がつながった感覚がとってもあって」
最初に表現したのは、まーちゃんが幼い頃から感じていた疑問だった。

<コント「フェンス」>
「ボールがさ、フェンスの中に入ったわけよ、だから取ろうね」
「NO、NO、NO」
「あの外人が、取らさんばーするばーよ(取らせないようにするよ)」
「は?ちょっと待てよ、ボールないと野球できないよ」
「GETAWAY!HERE IS AMERICA」
「その前にここ沖縄だろ、俺たちの土地返せ、ボール返せ」
「HEY SHOOT!OH MY GOD!DON’T TOUTH MY BALL」
「何でアメリカの子供は自由に出入りできて、俺たちは入れんば?ボール取らせろ!」
“まーちゃん”
「もともとは沖縄の土地ですよね。何だかわからない当たり前の中で、その渦中に生きさせられてる。柵の中にいるのはどっちなんだっていう」
本土への皮肉を込めた、このコントも人気を集めた。

<コント「ジャパネット沖縄」>
「今回皆様にご提供する商品はこちら、沖縄のアメリカ軍普天間基地でーす」
「これまでは日本にある米軍基地のほとんどを沖縄が独り占めしていたので、今回特別に本土の方にも分けてあげようと思いましてね」
「でも社長、お高いんでしょ?」
「いやいやそんなことないですよ。今回はこの普天間基地に、たまに沖縄国際大学に墜落して炎上するCH53大型輸送ヘリもつけちゃいまーす。さらに今回だけ、海兵隊6000人もつけちゃいましょう」
公演は回を重ねたが、決して順風満帆ではなかった。知名度が上がると、コントを快く思わないグループから、舞台を潰そうという攻撃もあった。
FECオフィス代表取締役 山城智二さん
「表現の自由があったとしても、こういう舞台に対して嫌悪感を覚える人がやっぱりいるんだというのは分かるんですけど、それがどんどん大きくなっていって手に負えなくなる感じが怖いし嫌でしたね」