被災した故郷の「現在地」
牛来さんは、懐かしい人と再会しました。
震災前まで妻の実家の写真スタジオを手伝っていた小野田浩宗さんです。
牛来さんが小学生のとき、小野田さんは卒業アルバムを制作するため、修学旅行などの行事に同行していたのです。卒業アルバムを見ると・・・

福島・浪江町出身 牛来さん
「私大きいのあるじゃないですか!」
小川キャスター
「それ牛来さんですか?」
福島・浪江町出身 牛来さん
「いや~懐かしい。本当に」
小野田浩宗さん
「戻れるでしょ。自分の小学校時代に」
小学校の卒業アルバムを見るのは、震災以来だという牛来さん。将来の夢を記したページには・・・

福島・浪江町出身 牛来さん
「あ、“歌手になりたいです”」
小野田浩宗さん
「おー、そのままピッタリで良かったな」
小川キャスター
「叶えてらっしゃる」
小野田浩宗さん
「本当だよね」
2020年、避難先から浪江町に戻り、今は花木栽培をしている小野田さんですが、町の“未来像”はまだ見えないといいます。

3年前浪江町に戻った 小野田浩宗さん
「実際にここに住んでみると、もう震災前の浪江ではないということをすごく感じるじゃないですか。大きく浪江町と捉えたときには、すごくまだまだ形にならないというか、見えない部分っていうのが多いのかな。『もう線はできてるよ』『これから面を作るんだよ』っていう方たちもいるかもしれませんが、自分的にはまだ『点』、これから多分ようやく『線』になっていくんだろうなっていうふうには感じてます」
福島・浪江町出身 牛来さん
「一緒に『線』になるための、お互いの『点』と『点』であれば、1番それがうれしいなと思います」
3年前浪江町に戻った 小野田浩宗さん
「それぞれが『点』で一生懸命、今やっているので」
「♪いつかまた 浪江の空を またみんなで 眺めたいから 歩くよ どこまでも歩くよ・・・」
牛来さんの思いです。

福島・浪江町出身 牛来さん
「浪江町が私の故郷であるということを自分の中ですごく誇りに思っていますし、そういった思いを未来につなげていけたらなって思います」
小川キャスター:
震災によって、浪江町の姿も牛来さんの人生も一変しています。でも震災を経て、牛来さんは夢だった歌手の道にたどり着いて、新たな縁をつなぎ、今、全てが牛来さんに返ってきているんですね。
やわらかな牛来さんの姿を見て、ようやくその実感をかみしめることが出来ていらっしゃるように感じました。
一方で小野田さんのように、ようやく未来を描くための起点を見つけることができたという方もいらっしゃって、本当に歩みのスピードも方向も人それぞれなんですよね。
それぞれが、1つずつ積み上げる日々がどんな浪江の景色、浪江の空につながっていくのか、今後も見守っていきたいです。