東日本大震災から12年、被災地の今を見つめる「つなぐ、つながる」プロジェクトです。東京電力・福島第一原発事故の影響で避難を余儀なくされた福島県浪江町出身のシンガーソングライター・牛来美佳さん。「当たり前の日常の尊さ」を歌詞に込めた彼女の思い、そして、被災した故郷の「現在地」を取材しました。
原発事故で避難した歌手 故郷への思い詩に重ね
「♪凜と澄んだ音のように あなた色が奏でられ奏でるように・・・」

シンガーソングライターの牛来美佳さん。
東日本大震災と原発事故によって、故郷、福島県浪江町からの避難を余儀なくされ、今は群馬県太田市で長女と2人で生活しています。
この12年間の様々な思いを綴った歌詞と澄んだ歌声は、聴く人の心に深く響きます。
2月、牛来さんと共に浪江町を訪れました。

福島・浪江町出身 シンガーソングライター 牛来美佳さん
「海水浴でよく遊びに来た思い出の地元の海ですね」
小川彩佳キャスター
「何か思い出すことありますか?」
福島・浪江町出身 牛来さん
「いとことかも一緒に海水浴で遊んで、子どもたちすごく盛り上がったなっていうことを思い出しますね」
この請戸海水浴場から約6キロ離れたところに見えるのは、廃炉作業が進む福島第一原発です。

12年前のあの日、牛来さんは、原発敷地内にあった関連企業に勤務。シングルマザーの牛来さんは、当時5歳の長女と共に避難を強いられました。
福島・浪江町出身 牛来さん
「通常の時間よりも何倍もかかって夕方、浪江町にたどり着いて、真っ先に娘の保育園に向かい、娘と会えた。原発事故があったこともその後、郡山市に避難した親戚宅のテレビを見て知った。テレビの中で映っている世界っていうのが異次元のような。受け止められないっていう現実がありましたね」
避難指示解除から間もなく6年。浪江町の住民登録は、2023年2月末時点で1万5476人。しかし、実際に町内で暮らしている人は、1964人だけです。
町の面積の約8割が帰還困難区域で、福島県内、7市町村の中で最も広い設定です。

政府などは、浪江町の帰還困難区域の一部(特定復興再生拠点区域)について、除染など一定の整備が進んだとして、3月31日午前10時に解除することを決めました。
復興の起爆剤として、2021年に「道の駅なみえ」がオープン。地元で採れた野菜や果物、水産加工品を扱い、少しずつ賑わいを取り戻しています。
大手スーパー「イオン浪江店」も2019年、町の中心部に進出。当初は、除染作業員などの買い物客が多かったといいますが、今は違います。
イオン浪江店 新田信哉店長
「2年、3年経ちまして、お肉だったり、お魚だったり、あと米が2キロ5キロと売れるようになり、本当にこの辺で暮らして生活されてる方が増えてるというのは実感しております」
しかし、町には、空き家や建物が解体されたあとの更地が目立ちます。
牛来さんが長女と暮らしたアパートも今はありません。

福島・浪江町出身 牛来さん
「少しずつ新しい形で変わっていくんだろうなって思っている反面、やっぱり元の景色というか、私たちの震災当時、知っている浪江町っていうのが、こうして1つ1つなくなっていっていることを目の当たりにすると、なんだかすごく複雑な気持ちになりますね」