“母なる川”阿賀野川とともに、これからも生きる

この日、皆川さんは余ったカニを返すため、阿賀野川に足を運びました。

【皆川栄一さん】「また来年大きくなって帰って来いよ!」

3歳のころから始めた釣り。79歳になった今でも、釣りと魚を愛する気持ちは変わりません。

【皆川栄一さん】「3歳のときから船の中から釣りで生きてきた人間ですから、本当にこの阿賀野川というのは切っても切れない。私が動けるうちはなんとか、もう少しこの阿賀野川と一緒に生活したいなとは思っています」

その皆川さんのもとに、1月30日、県の認定審査会の結果が届きました。皆川さんは水俣病の認定を求め2013年に1回目の申請をしましたが、2017年に棄却。すぐに再申請していたのです。

皆川栄一さん
「こういう結果というのは予知はしておりましたけども、残念と言えば残念ですよね。何回読んでも同じことしか書いてありません」

認定結果の通知書には「認定しません」の文字。ため息がこぼれますが、次へと気持ちを切り替えます。


皆川栄一さん
「認定審査会のこの結果を見る限り、認定されるのは、やはり難しいということをさらに感じましたからね。不服であり、納得はしておりませんのでまた近いうちに再度、認定申請したいと考えております」

今年で公式確認から58年を迎える『新潟水俣病』。過ぎ去った月日の先に希望の光があるのを信じ、判決の瞬間まで人生をかけて闘っている人がいます。

皆川栄一さん
「ゴールというものが、自分たちが生きられるゴールなのか、それともつまづくゴールなのか。最終的には負けるかもしれない、裁判に。勝つとは限りません。それを考えると、やはりちょっと辛いところはありますけどね」