なぜ「個人の判断」に? 背景に専門家と世論

南波キャスター:
なぜ今回、マスクの着用が「個人の判断」になったのかというところについて、TBS政治部・川西全官邸キャップによりますと、「本来なら屋外に加えて、『屋内』も原則不要と打ち出したかったが、専門家や世論が想像以上に慎重だった」ということです。
マスクの着用の緩和時期も決められず、当初の想定よりも対応を弱めた形になり、「個人の判断」という言葉を使うことになったそうです。
「個人の判断」について現場の医師は、どう考えているのかというところですが…
インターパーク倉持呼吸器内科 倉持仁医師
「なぜ『個人の判断』とするのか、根拠を説明すべき。今後感染が拡大した場合、どうするのかも示すべき」
ひなた在宅クリニック山王 田代和馬医師
「感染症が拡大しやすくなり、高齢者やリスクの高い人の死亡が増えるのは避けられない」
「個人の判断」とした政府の思惑は?
ホラン千秋キャスター:
マスクの着用は「個人の判断」というふうに、ざっくりとするのではなく、政府としてマスクに関して、様々な意見はありますが「こういう方針で行く」ということを具体的に打ち出すことは可能だったとは思うのですが、あえて漠然とした感じに留めたのは、どういう背景があると思われますか?
国際医療福祉大学感染症学講座 松本哲哉 主任教授:
本来であれば、屋内でもマスクを基本的には外していいと、それはどんな場面でも外せるということを、政府側は言いたかったのかもしれないが、それをもし言ったら明らかに感染は広がるし、反発も大きいだろうと。
具体的にもうちょっとこういうところだったらマスクを外していいと、本来であれば説明して、みなさんが納得した上で、屋内であっても「このタイミングだったらマスクを外せる」「ここはやっぱり着用する」というふうになると思うのですが。
それがもういろいろと細かい所まで言うこと自体が段々と難しくなってくると、結局は「個人の判断」でというふうに大雑把に言ってしまった。
正直に言って、もうこれから先は、国は何もコメントもせずに「あくまでマスク着用は、自分たちの判断でやってください」というふうに投げてしまっているので、ある意味、みなさんに対する責任転嫁になってしまうのではないかと思います。
ホランキャスター:
マスク着用は「個人の判断」と言われても、やはり自分の気持ちだけでは…。周りの目もあるし、どうにもこうにも個人では決めきれないところもあるのではないでしょうか?
歴史・時代小説家 今村翔吾さん:
僕個人に置き換えてみたらどうだろうと思ったら、やっぱり「個人の判断に任せる」と言われても、正直周囲の目が気になったりして、マスクを外すのは勇気がいるなと思います。だから、ちょっと政府のこの言い方は、ずるいなというのは感じます。もう少し責任を国民側に投げるのではなく、ある一定程度は政府に持って欲しいという思いはあります。
ホランキャスター:
政府は、言い切ってしまうことによって、責任を負うのが怖いのかなと?
歴史・時代小説家 今村翔吾さん:
そんな感じがします。