中学から始めた“野球”で転機 しかし、原爆症への恐怖と被爆者差別も…
戦後、学校ではけんかに明け暮れ、広島弁で「ごんた=暴れん坊」と呼ばれた張本勲さんでしたが、中学で始めた野球が人生を変えます。
父が亡くなり貧しい暮らしの中、1人で自分を育ててくれた母親。「母にいい暮らしをさせたい」そんな思いからいつしかプロ野球を志します。

日夜、猛練習に励み、高卒でプロに入団。すぐに目覚ましい活躍を見せますが、その陰で常に怯えていたのが…

張本勲さん
「ちょっと体調の悪い時があるじゃないですか。そんときでもやはり、ふっと浮かびましてね。ひょっとしたら“原爆症”じゃないかなと」
年に1度の健診の度に恐怖に駆られ、軽い咳や腹痛でも原爆症と結びつける日々だったといいます。
さらに張本さんを苦しめたのが、被爆者への差別。

張本勲さん
「『近寄るな』『うつるから』と。なぜそんなこと言ったのか分からない。うつるわけないんだから。そういう差別がありました。(現役時代は)被爆者ということは隠していた、言わなかったです」














