被爆体験を語る“きっかけ”となった一通の手紙 伝えたい思いとは…
自らの被爆について口を閉ざした張本勲さん。そこに訪れた転機とは…
60代になった張本さんは、新聞社に頼まれ、原爆についての記事を寄せます。

毎日新聞(2006年10月)
「8月6日は大嫌い。法律でなくして、5日の次は7日にしてほしいぐらいだね」
この記事を見た小学生の女の子から届いた一通の手紙が、張本さんの背中を押しました。

張本勲さん
「小学校の女の子が手紙をくれまして、『逆でしょう、8月6日はなくしちゃだめですよ。終生忘れない』って言われて、はっとしました」
原爆と向き合うことから逃げていた自分に気付いた張本さん。これまでつらくて、行くことができなかった原爆資料館に足を運んだのです。

黒焦げの三輪車、そして、やけどを負った人たちの写真。すべての展示に足をとめたといいます。

張本勲さん(2014年・広島平和記念資料館)
「姉さんを思い出す。このケロイドを見ると…ひどい」
偉大なプロ野球選手として、そして、被爆者としての人生を歩んだ張本さん。

張本勲さん
「野球に出会えたことで私の人生は救われたといってもいい。しかし、私は、原爆の日のことを忘れたわけではありません」(『張本勲 もう一つの人生』より)
被爆体験を伝えることのできる最後の世代として、張本さんは語り続けました。

張本勲さん
「私らが最後のメッセンジャーでしょう。悲惨な姿、光景、人間、物、自分の目で見てるし、体験したからね」
原爆の被害は広島・長崎を最後にしたいと語っていた張本さん。
張本勲さん
「被爆者にとっては、死ぬまで戦争は終わっていない。『地球上から核兵器がなくなった』という一言を聞いて息絶えたいんだ」














