姉は全身焼きただれ… 語り続けた被爆体験

2024年、核廃絶を訴えてきた日本被団協が「ノーベル平和賞受賞」を受賞。

張本勲さんはそれについて…

張本勲さん
「(受賞は)ほっとしましたね。感謝してますよ。だけどもう少し早くもらいたかったですね。亡くなった先人たちにも聞かせてやりたかったです」

朝鮮半島出身の両親のもと、1940年に広島で生まれた張本勲さん。母親は、ほとんど日本語が話せない中、4人の子どもを育てていました。

そして5歳となった張本さんが迎えた、1945年8月6日。

張本勲さん
「友達と遊ぶために(家を)出ようとした。ぱあっと光ってドン。いわゆるピカドン。『なんかな?』と思ったら、お袋が(私と姉に)被さって、私たちを助けてくれた。白い洋服でしたから真っ赤に。ガラスの破片とかが刺さって血がにじんでいた」

自宅の玄関先で浴びた閃光。張本さんは、母親にかばわれ無事でしたが、爆心地から2キロしか離れていない家の周りでは…

張本勲さん
「大きな声で叫ぶ人、苦しいから。熱い、痛い。それで私らの前を走って行く人。近くにドブ川があったんですよ。熱いからそこへ飛び込むんですね。みんな亡くなるんですよ」

このとき、外出していた6つ年上の姉・点子さん(長女)は爆心地近くで被爆。全身に火傷を負い、家に運ばれますが…

張本勲さん
「全身焼きただれてね、『おかあちゃん痛いよ熱いよ苦しいよ』と言いながら看取ったんですから。いかにお袋が苦しかったか。子どもの頃は分からなかったけど、大人になって初めてお袋の苦しさ、原爆の悲惨さをかみしめましたよ」