「平和なときはパッとしない」“基地の街”ゆえの平和運動の難しさ

在日アメリカ海軍の司令部にたなびく国連旗。
1950年に勃発した朝鮮戦争は、3年後に休戦が成立した。アメリカを中心とした国連軍は、戦争が再開されればいつでも使える基地に佐世保を指定した。
国連旗は朝鮮戦争が未だ終結していない事を示しているのだ。
太平洋戦争後、佐世保を復興させたのは...

佐世保商工会議所50年史より
「佐世保に起死回生の時機が来た。それは予期しなかった方角から来た。“朝鮮動乱”がすなわちそれである」
岡本昭三さんは当時、アメリカ軍基地の従業員だった。
――朝鮮戦争の時、ドックにはアメリカの艦船は
元アメリカ軍基地従業員 岡本昭三さん
「朝鮮戦争の時はいっぱいでした。無理な残業でも手当が良かったからね」

佐世保商工会議所50年史より
「佐世保は将兵の私物、土産品などの購入地となり莫大な消費地と化した」
辻󠄀昌宏さんは好景気に沸く街の様子を鮮明に記憶している。
元佐世保商工会議所会頭 辻󠄀昌宏さん
「死ぬか生きるかの戦場から休暇で帰ってきたら、何か月分か貯まってる給料をバンバン使う。ドルが街中に溢れている」
多くのアメリカ兵の遺体が佐世保に運ばれてきた。

元佐世保商工会議所会頭 辻󠄀昌宏さん
「ゴムの袋に入れた遺体をものすごい数持ってきて、佐世保から本国(アメリカ)へ輸送してた。きな臭くなると街が忙しくなる。平和なときはパッとしない、(佐世保の)宿命」
経済面で基地に依存する佐世保だが、反戦運動の最前線になった時代もあった。
1968年ベトナム戦争のさなか、アメリカの原子力空母エンタープライズの入港阻止の大規模な反対運動が起きた。
しかし、国際情勢の変化と共に運動は下火になっていった。

佐世保地区労働組合会議 赤星秀典 議長
「基地があるということと共にリスクを背負っているんだということを分かってもらって、もう一度平和運動を盛り上げていきたいなと」
運動には、佐世保ならではの難しさを感じるという。
佐世保地区労働組合会議 赤星秀典 議長
「教え子の保護者の方に自衛隊の方もたくさんいらっしゃる。声を大にして反基地・反戦と言うのはなかなか難しい」














