「マッシーに負けなきゃよ」 大鵬に“負けた”千代の富士からのぼやき
現役当時、体も大きかった舛田山にはネス湖のネッシーにちなんで「マッシー」という愛称、あだ名があった。
敗れた千代の富士も、痛恨の黒星を後日舛田山にぼやいていた。
舛田茂さん(元関脇・舛田山)「千代の富士も「マッシーによ、負けなきゃよ。俺もね大鵬さんと一緒で32回優勝してんだよ」なんか言って。「お前に負けたおかげで31回だったんだ。その一番でだけなんですよ。」
当時、幕内優勝回数は大鵬の32回が最多だった(現在は白鵬の45回が最多)。千代の富士は31回の優勝をはたしているが、もしこの名古屋場所で優勝していれば、結果的に大鵬に並ぶ優勝回数だった。
次の場所で新関脇になった舛田山。意地を見せたマッシーの相撲が、大鵬と千代の富士の熾烈な争いを決定づけた。














