「倍率37倍の難関」金沢市の職員内定を辞退し角界へ

大学卒業後、舛田さんは当初は角界へ進む意思はなく、金沢市の職員になる予定だった。

舛田茂さん(元関脇・舛田山)「金沢市役所です。もう受かっていた、試験を受けて。だから、あの当時で言われたのが、「おい舛田、お前(倍率が)37倍だぞって。市役所の試験が。おそらく公務員ブームですから」

しかし、4年生の時の全国学生相撲選手権で戦った同級生との一番が、舛田さんに角界入りを決意させる。

舛田茂さん(元関脇・舛田山)「大学の決勝戦で、日大の野村(のちの元関脇・出羽の花、出来山親方)に負けたんですよ。それがきっかけだね。あいつもそれがきっかけなんですよ、プロ入ったの。(出羽の花は)勝って大学の横綱になったんで、プロへ来たんだ。俺は逆に負けて悔しいから、じゃあとなってプロ入ってきたんだから。それで市役所に挨拶行って。実はこれで申し訳ないけどプロ行きますって挨拶して。その後、三役に上がるときにまた挨拶行ったんですよ。おかげさんでと言ったら、「よかったね」って。「三役っていったら、管理職だよね」って。俺、その頃30歳ぐらいだから「市役所だったら、管理職なんかとんでもないよね」って言われてさ。だから、「プロになってよかったね」なんか言われて」

アマチュア時代の一番がその後の人生を大きく左右することになった学生時代。舛田さんは元横綱・栃錦が師匠の春日野部屋に入門する。