自律性を取り戻す努力

こうした約束事を放送局が守らなかった場合のセーフティーネットとして放送界は、法枠組みとは別に自主的にBPO(放送倫理・番組向上機構)を設置して、視聴者への責務を果たすべく仕組みを整備しているわけだ。もともと1980年代以降の厳しいメディア批判に対応する形で苦情対応組織として1997年に発足したのが始まりで、その後、市民社会や政治家からの批判に対応する形で組織を充実させ、2007年に「放送人権委員会」「放送倫理検証委員会」「放送青少年委員会」という現在のかたちになった。

このBPOが機能するためにも、まずは放送法自体が倫理的規範であって、放送人の職責によって維持されるということがなくてはならない。この点、政府も従来はこうした考え方をとっていたものの、1990年代より社会の耳目を集めるような事案をきっかけとして、放送法は法的拘束力を持つ、その違法判断は政府が行う、しかも1つの番組の中で判断可能と、どんどん時の政府の恣意的な判断で、番組の違法判断ができるように解釈を変えてきた歴史的経緯がある。その1つの「ゴール」が先述の高市発言であるということだ。

この「倫理的規範」か「法的拘束力」を持つかは、放送の自由を確保する上で大きな分かれ目であるが、残念ながら放送界の現場は後者の解釈に従った運用がなされているようにみえる。それは、とりわけ選挙期間中の「公平呪縛」が強いさまに表れてきた。実際、TBSやテレビ朝日をはじめとする、具体的な番組やキャスターに対する「偏向報道」バッシングが、自由な番組制作を邪魔してきた側面が強い。

そのロジックは、政治的公平さは数量平等を求めている。したがって、一方的な政権批判は量的なバランスを欠いており違法だ――というものだ。まさに政権批判が偏向報道との理屈を誕生させることで、しかも1つの番組で判断可能とすることにより、特定番組・特定出演者批判が渦巻くことになった。それでも今のようなネット上の切取り動画による集中砲火や、人権を蹂躙する罵詈雑言がなかっただけでもマシであったともいえるが、政権党による出演拒否などもあって、番組作りが萎縮していったことは否めない。

こうした動きの中で、本来の放送法解釈をきちんと理解してもらう試みもなされ、民間版の「放送法逐条解釈」が主要な憲法・言論法(ジャーナリズム法制、情報法・メディア法)の研究者の手で編まれた。『放送法を読みとく』(商事法務)がそれだ(2010年の放送法大改正を受けて、改訂版の『放送制度概論』がある)。BPOの解釈や見解もこちらの解釈に沿っている。

これに対し、元総務事務次官の金澤薫氏が監修した総務省版の通称・金澤本(『放送法逐条解説』)があるのだが(現在は第2版)、残念ながら放送局の現場は、この総務省版に沿った運用がなされているのが現状だろう。

先の選挙報道の見直しに際して放送はじめ報道界は、改めて選挙報道の自由を確認したわけであって、それはイコール、放送を含む報道の「自主自律」の考え方を確認したものだ。これがきっかけになって、とりわけ放送界が横の連携を保ちつつ、自由の拡張のために具体的な行動をすることが必要であろう。

その基礎は、個々の放送人の心の持ちようであることは言うまでもないし、そうした社員をサポートする社の姿勢は是非ものである。個・社・界のいずれもが同じ方向に向くことで、はじめてここ30年続いてきた後退戦の転機が訪れることになると思う。