SNS全盛時代にあって、新聞やテレビなど伝統的な報道機関の持つ影響力や存在感は相対的に弱くなったと指摘される。しかし、健全な民主主義社会には専門的に報道に携わる組織あるいは個人が不可欠であることは論をまたない。ただ、そうした人たちの取材報道活動=ジャーナリズムを時代にあわせてアップデートすることは重要だ。そのために必要な議論の素材を提供する目的で始まった、専修大学ジャーナリズム学科・山田健太教授による連載「明日のジャーナリズムへ」の第5回は、「放送」というメディアが持つ特性についての論考。
放送は窮屈なメディアだとよく言われる。番組を作る現場においては、あれはダメこれもダメと、いろいろと制約が多いのが現実だ。もちろん、送り手の「倫理的責任」としてテレビやラジオに関わらず自制しているものも少なくなく、むしろジャーナリズム活動としての当然の態度であって、まさに自主自律の表れでもある。しかし、こうした放送の現場(あるいは経営)が抱えるプレッシャーが、他のメディアと大きく異なる側面が存在することも事実だ。それは、法が介在する場合が少なくないからである。
今回は、そうした放送が持つメディア特性を概観しておきたい。それは、放送に携わる者としての最低限のたしなみであるとともに、視聴者・聴取者である受け手が、正しく放送を理解し、批判するための基礎でもあるからだ。
いまのテレビはつまらないと一刀両断に切り捨てるのは簡単であるが、番組制作の「条件」を知った上で、そのメディアの価値を判断することが大切である。物事には必ず裏と表、デメリットもあればメリットもあるのだから。
放送免許というシロモノ
YouTube(ユーチューブ)やNetflix(ネットフリックス)と、いわゆるテレビ番組との最大の違いは、コンテンツを流すにあたって国からの「免許」を必要とするかどうか、である。自動車を公道で運転するのにあたり行政(警察・公安委員会)が発行する運転免許証が必要なことは誰でも知っているが、放送に国家免許が必要なことは世間的にはあまり知られていない事実だ。
正確には「放送」というより「電波」を発信するにあたっては、一定の条件の定めがあり、それをクリアすることが求められている。したがって、放送局のみならずアマチュア無線であっても、無免許で電波を発出することは法で禁止されている。どの国でも、いわゆる周波数ごとに国が管理をしているのが当たり前で、この帯域は警察用とか放送とか個別に定められており、最近だと携帯電話のための帯域が拡大する傾向にあるのは想像の通りだ。そしてこの周波数帯を利用するのに、国は「利用料」を徴収しており、特定財源として大きな収入源でもある(注1)。
(注1)電波利用料は一般会計に入り、電波管理のための特定財源となっている。
ただ問題は、この免許の管理の仕方が日本は独特であることにある。先に「国」が管理していると書いたが、それは電波が、公物であり、有限である、さらには社会的影響力が大きいことなどを理由に正当化されてきている。しかしだからと言って、公権力が恣意的に利用者を決めることが許されるはずはない。それが許されれば、政府に批判的なものは電波を利用することができなくなってしまうからだ。
そこで多くの国では、直接、政府が免許の交付に介入できないように、独立行政機関を設置して、外形的な基準(誰がみても納得できるような合理的な基準)をもとに利用者(放送局)を決めている。しかし日本の場合は、直接に政府(総務省、以前は郵政省)が内部的な審査によって、どの会社に免許を与えるかを決める仕組みになってる。
2016年に当時の総務大臣である高市早苗・現総理大臣が、政府がおかしいと思えば「停波(免許を取り上げる)する」といったことが言えてしまうのが、まさに日本的な免許の仕組みであるといえるだろう(注2)。
(注2)詳しくは、拙著『放送法と権力』(田畑書店、2016年・2024年追録電子版)参照。2016年2月8・9日の衆参国会審議での大臣答弁で、放送法に抵触すると政府が判断すれば電波を停止する旨を発言。その後の政府統一見解に続く。
日本の地上波放送は、全国放送である公共放送NHKと、地方(圏域)放送である商業放送(民放=民間放送)の2層構造で成り立っているが、この並立体制は自然に成立したものではなく、まさに強力な放送行政の賜物でもある。さらにいえば、県ごとの地方放送局の数も、地元経済界との阿吽の呼吸(というよりも強力な1本化調整)の結果、2から6局の間で商圏見合いの放送局の数が定められている。これもまた、免許権限のなせる業である。
しかもこの放送免許は、自動車免許のように一度取得してしまえば、ほぼ自動更新であるのとは違い(日本の場合、不必要に高い更新料が必要だが)、5年ごとにイチから厳しい審査をやり直す形式で、放送局は結果として常に政府に見張られているような立場に置かれることになる。確かに政府のお墨付きがあるわけで免許期間中は安定的ではあるが、安心してください、監視していますから――と言われて気持ちがよいはずはない。














