地震国日本で最も多くの死者・行方不明者を出したのは1923年の関東大震災でした。犠牲者の数は10万5385人、しかし、その被害の詳細はどうだったのでしょう。
関東大震災は「地震で首都が壊滅し、そこを火事が襲った」と思ってはいませんか?じつはそのイメージ、少しだけ、いえ、かなり違うのです。
(アーカイブマネジメント部 疋田智)

運命の午前11時58分

関東大震災が起きたのはお昼ご飯直前ともいうべき11時58分でした。
マグニチュード7.9の巨大地震。それを記録した映像がTBSのアーカイブに保存されています。時系列で見ていきましょう。最初のカメラは地震直後の、日比谷、浅草など、当時随一の繁華街から始まります。

「そのとき」を示す街頭時計

ここは震災直後の日比谷です。避難してくる人々で街はごった返しています。
ただ、人々の背景を見ると、地震直後の木造家屋、塀などが、傾きながらも、ほぼそのままの状態で存在することが分かるでしょう。これは「地震直後」なのです。日比谷の木造家屋が思いのほか頑丈だったのでしょうか。

地震直後の日比谷の様子。板塀などが案外平気で立っている。

関東大震災で最も大きな被害を出したと言われる下町・深川地区を見ていきましょう(下記)。ここでも震災直後は家屋はそこまで壊れていないことが分かります

もちろんまったく無傷とは言いませんが、震災直後には白い制服を着た巡査が被害状況を見てまわるという程度の余裕があったことがみてとれます。
やがて道路は驚いて外に出てきた市民たちでいっぱいになっていきます。

家財道具を積んで逃げる市民

「驚いて外に出てきた人々」が次第に「家財道具を積んで逃げる人々」に変わっていきます。

上記は浅草の映像です。地震発生から時が経つごとに、大八車などに家財道具を載せて逃げ出す人が増えていきます。
しかしまだ家屋にはさほどの被害は認められません。道路にガレキなどもあまりなく、車輪が普通に回っているように見えます。
その後、立ちこめるのが煙、そして、背後に炎が上がり始めます。火災です。

家々の背景からあがる火の手、消火は到底間に合いませんでした。