
一本道の両側には、丈のあるサトウキビが生い茂りとても静かだ。
鹿児島県の離島「徳之島」。
この島は去年7月、「生物多様性」が認められ、「奄美・沖縄」として「世界自然遺産」に登録された。
以来、島のあちらこちらで見かける「世界」の文字。
そんな祝福ムードの中、そのアスリートは黙々と走り込んでいた。

愛媛県宇和島市出身で、日本マラソン界「歴代最速ランナー」だ。
富士通陸上競技部の鈴木健吾選手が歴史を変えたのは、去年2月のびわ湖毎日マラソン。
コロナ禍で海外招待選手がいない中、マラソン5回目の鈴木選手は、早春の「びわ湖」を快走。
優勝タイムは2時間4分56秒。
日本人初の「4分台」を叩きだし、東京オリンピック代表・大迫傑選手の日本記録を33秒も更新する圧巻の走りで、歴代最速ランナーの座についた。
年が明け、元日のニューイヤー駅伝ではチームともに精彩を欠いた鈴木選手だったが、心機一転1月上旬からは、恒例の鹿児島県「奄美大島合宿」を10日間、さらに隣りの「徳之島」に移動しマラソン強化練習を重ねていた。
そんな鈴木選手にちょうど1年前を振り返ってもらうと、当時は意外にも、成し遂げた事の重大さにピンときていなかったようだ。
「自分では4分台が出るとは思っていなかったんです。でもレースの終盤、沿道から『4分台いけるかも』という声が耳に入ってきて、そこで初めて意識しました」
(ゴール直後は?)
「そうですね、逆になんか『これが4分台か』みたいな、ちょっと…。日に日に、実感してきたという感じですね」

宿泊ホテル前に姿を現した鈴木選手は、南国の太陽による日焼けのせいか、より精悍さが増し、合宿の充実ぶりが表情から滲みでていた。
この前日も「30キロ走」をこなしていた鈴木選手。
島に来てからすでに数回行っているようで、宿泊ホテル前の道から出発し、島の北部をぐるっと周回するコースが定番だという。
実はそのコースには「名前」があった。

シドニーオリンピックの金メダリスト・高橋尚子選手が、あの小出義雄監督と共に走り込んでいたのがこの道。

今や長距離ランナーたちの「聖地」として多くの実業団チームも合宿に訪れていて、鈴木健吾選手も所属する富士通のメンバーと共に「尚子ロード」に鍛えられ、マラソンという種目と向き合っている。
「身一つで、手と足、体全身を使って、1秒でも速くゴールに着けばいいという単純な競技ではあるが、本当に鍛えた一歩の数ミリ、数センチというのが、やはり42キロという距離になると大きく変わってくるなというのは、単純ですけど、難しいなというのは感じますね」(鈴木選手)
ただ徳之島が実業団ランナーの聖地になっているのは、冬でも暖かな気候や、縁起のいいエピソードだけが理由ではない。
この日、鈴木選手らが向かった練習先は山の中腹にある「小出義雄メモリアル天城クロスカントリーパーク」。


全身の筋肉をほぐしながら、走りの「ベース作り」をするには申し分のない、むしろ暑いくらいの気候の中、鈴木選手は軸のぶれないフォームでピッチを刻み続けていた。
その様子に目を凝らしながら、富士通陸上競技部・福嶋正監督は鈴木選手の強さの一端をこう示す。

鈴木健吾選手が陸上を始めたのは小学校6年生の時。
それまでソフトボールをしていたが、チームを引退するのをきっかけに、かつて全国高校駅伝にも出場経験のある父・和幸さんの影響で地元のランニングクラブに入り、そのまま中学校で陸上競技部の門を叩いた。
そして愛媛県立宇和島東高校時代にはインターハイの5000mで10位に入り、その後、全国高校駅伝にも出場した。
後に歴史を変える快挙を果たすことを考えれば、まだこの頃は全国的にも無名だったが、当時、宇和島東陸上競技部の監督を務めていた和家哲也さんはその練習ぶりをこう振り返る。

さらに恩師は続ける。
「本当に、自分がなんで走っているのかということを忘れずに続けてくれれば、結果はついてくるだろうし、もちろんその結果というのがオリンピックに繋がってくれたら最高だと思います」(高校時代の監督・和家哲也さん)
徳之島合宿7日目。
クロスカントリー練習の翌日は、スピード強化練習。
空港近くの町営陸上競技場では、鈴木選手最大の武器が磨かれていた。
メニューは1000メートルを4本。
トラックを2周半、ハイスピードで走り、半周ジョグを挟んで再びハイスピードというインターバルトレーニング。

練習に参加している富士通の4選手の中では最も小柄だが、走る姿は大きく見える。
風上に向かうストレートでも、前に引っ張られるように風を切り裂き、ダイナミックなフォームでピッチを刻んでいく。
3本目には他の選手のペースが落ち始めるが、鈴木選手のリズムに変化は全く無く、むしろ周回を重ねるごとに、その「スピード力」が際立っていく。
その様子に福嶋正監督も納得の表情だ。
「健吾は効率のいい走りができるので、上下動が全くない走りができる。1つ大きいのはトラックでも(1万メートルを)27分台で走ってスピードもついてきているので、「スピード」と「持久力」と両方兼ね備えてきたというのはあります」(富士通・福嶋監督)
その「両方すごい」という時代の求めるヒーローの要素を、あっさりと体現してみせたのが3月6日の「東京マラソン」。
鈴木選手はペースメーカーから解き放たれた25キロ付近で日本人単独トップに躍り出ると、自身の日本記録を上回るペースで35キロ地点を通過。
キプチョゲとの一騎打ちは「来るべき日」まで先送りし、「びわ湖」で見せた驚異的なスパートは封印しながらも、心の余力を十分に残して全体4位、日本人トップの「2時間5分28秒」。
東京駅をバックに、颯爽とフィニッシュラインを駆け抜けた。
ただ、そのクシャクシャになった表情に、これほどの重みが隠されていたとは誰も想像していなかった。
「昨年、日本記録を出してから1年間、とても苦しかったが、それをきょう乗り越えられたかなと思います」(鈴木選手)
この結果、鈴木は今年7月の「世界陸上オレゴン大会」の代表に選ばれ、いよいよ日の丸ランナーとして未知の重圧と向き合うことになるが、そこで弾みをつけて来年のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)に臨むことこそが、鈴木選手の描く栄光へのストーリーだ。
「パリ(五輪)にはなんとしてでも出場して、メダル争いしたいという思いが強くある。世界のトップは(2時間)1分台ですし、現実的には『3分台』というところは、今の日本のマラソン界だと狙っていくべきところではあると思います」(鈴木選手)
アフリカ系以外の選手で初めて「4分台」の扉を開けた鈴木健吾選手。
しかしその視界の中に、世界のランナーが映りこんでいる限り、その背中を追い続ける姿勢は変わらない。

「いや~(笑)、そのくらいになれるように頑張りたいですね」
(2022年1月25日 徳之島にて取材)