「弟と妹と仲良く遊んでいたら…」
1945年8月6日、当時6歳だった内藤さんは、自宅で弟と妹と遊んでいました。
内藤愼吾さん(87)
「縁側で遊んでいたんですよ、田舎から持って帰った野菜を並べて遊んでいたんですが、けんかをして。母に叱られて私は防空壕の上へ移動したが、弟と妹の2人は、まだ縁側で遊んでいた」
そして、原爆が投下された8時15分を迎えます。

内藤愼吾さん(87)
「建物がぺちゃんこに潰れて、2人は下敷きになった。あのときに私が仲良く弟と妹と3人で遊んでいたら、いま私は居ない」
内藤さんは、防空壕に吹き飛ばされて無事でした。爆風が止み防空壕を出ると、あたりは瓦礫だらけ…。そして目の前には、大やけどを負いながらも崩れた家の下敷きになった弟と妹を助けようとする母・寿恵子さんの姿がありました。
内藤愼吾さん(87)
「母は、左腕に強烈な熱線を浴びていて、完全に大やけどの状態。単純に血が出ているわけではなく、身体の生身のほうまで焼けたような。弟と妹は、火傷はしていなかったが、屋根がつぶれ、がれきでけがをしたというか、全身がもう血だらけだった」
母・寿恵子さんは、2人を助け出すことができましたが、幼かった弟と妹はその日のうちに息絶えました。寿恵子さんは8年後、原爆の後遺症とみられる症状で急逝しました。














