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※小野貢さん
「地元の『田名部まつり』で、(山車の)正面と後ろに毎年違う絵や文字が飾られるんですけど、それを見て『ああいうふうに書きたい』とかあったのかもしれないですね」

書道を習いながら野球に夢中だった学生時代。しかし高校では、病気を患ったことでスポーツを断念した。

卒業後は親のすすめもあり、神奈川県にある介護の専門学校へ進学することになった。
※小野貢さん
「うちの親からしたら、介護とか看護はなくならない仕事だから、『専門学校に行った方がいいよ』と。僕自身は美大に行きたいっていう気持ちはあったんですけど、学校の先生にも『将来、芸術で食べていけるのか』と言われて、未だに覚えてるんですけど、『難しいな』って自分でも思ってしまって、『じゃあ介護だ』と」

専門学校卒業後は、地元のリハビリテーション病院で5年働いたが、そこでも小野さんの好奇心は止まらなかった。
※小野貢さん
「好きなことが多い人間で、いろんな人に会いたいとか、いろんなことを知りたいとか、そういう思いがあって…」

そして、具体的にやりたいことは決まっていなかったが、友人が仕事を紹介してくれたことで上京した。以前から興味があったテレビ番組の制作の仕事にも少し携わったが、時間が不規則で、体力的な問題もあり、長く続けることができなかった。

こうして再び人生に迷っていた頃、恩師に出会う。














