空襲した米兵は捕虜か戦争犯罪人か

ドーリットル空襲に飛び立つ機(米国立公文書館所蔵)

1942年4月18日、米軍は日本本土に対して初めて空襲をした。指揮官がドーリットル中佐だったことから「ドーリットル空襲」と呼ばれる。半年後、日本は「空襲軍律」を制定し、無差別爆撃は「国際法違反の残虐行為」だとみなして厳しい処分をすることにした。ドーリットル空襲をした爆撃機の搭乗員は、捕えられた8人のうち3人が処刑された。

恵泉女学園大学 内海愛子名誉教授
「東京空襲のあと、日本は空襲軍律というものを作ります。撃ち落とされて捕まった搭乗員は戦争犯罪人なのか、捕虜なのか。最初に東京を爆撃したドーリットル爆撃の場合は、搭乗員らは中国で捕まるんです。それを『すぐ処刑しろ』って激高する人たちがいました。でもそれはだめだということで、そこで初めて空襲軍律を作りました。だから捕虜の場合は、すべて軍律会議にかけて決めていくんですね。軍律会議にかけて戦争犯罪人だとそこで決めて処刑するっていう、そういう段階を踏んで処刑することになっていました」