多くのアジアの兵と戦っていた日本
では、虐待された「捕虜」とはどんな人たちだったのか。
恵泉女学園大学 内海愛子名誉教授
「捕虜とは誰かっていうのが今度は問題になるんですけど、日本が戦争を始めたのは1941年12月8日ですよね。その直後、12月25日には香港が陥落しています。香港はイギリスが占領していましたから、そこで英印軍(イギリス領インド軍)と戦った日本は香港を落としてそのあと南方に行く。ここで重要なのは、日本は誰と戦ったかです」
当時のイギリス、アメリカ軍には、植民地として統治していたアジアの人たちが多く含まれていた。
恵泉女学園大学 内海愛子名誉教授
「アメリカと戦いました、イギリスと戦いました、これは私たちが学校で習っています。そのイギリスの軍隊というのは、イギリスの人ももちろんいますがインドの兵士もいます、カナダの人もいます。それからシンガポールあたりでは、マレー人、華人の兵士も少しはいます。だからあれは英印軍(イギリス領インド軍)なんです。そしてフィリピンで戦ったのはアメリカとフィリピンの軍です。アメリカ本国兵よりもフィリピン兵のほうが多いんですね。そして東南アジアのオランダ、いまのインドネシアですね、蘭印軍(オランダ領東インド軍)と言いましたが、この軍はオランダ本国の兵士もいますが、同時にオランダとインドネシア両方のルーツの人、そしてインドネシア兵もいます。そうするとアジア太平洋戦争というのは実に複雑な構図で、日本の中に朝鮮人、台湾人の兵士がいたように、東南アジアの連合軍は、数としてはもっともっと多くのアジアの人々を軍隊に編成している。そういう軍隊と日本は戦っていたんですね」
例えば、オランダ兵として捕らえられて日本に連れてこられた捕虜の中には、インドネシア人が多くいた。九州の炭鉱で過酷な労働の末、亡くなった捕虜の慰霊碑には、インドネシア系の名前が多く刻まれている。
















