分断の現実 現地で見た暴力
イスラエルとパレスチナ。対話でも、容易には乗り越えられない分断。なぜ、彼らはお互いを信じられなくなったのか。私たちはその「理由」を知るため、現地へ向かった。

紛争が続く、イスラエルとパレスチナ。パレスチナ自治区は、ヨルダン川西岸地区とガザ地区に分かれている。

イスラエル人による、ヨルダン川西岸や東エルサレムへの移住。これを「入植」(土地を占領し、イスラエル人を移住させること)と呼ぶ。土地を奪うこの行為は、国際法違反として厳しく批判されている。
1967年以降、イスラエルが占領する東エルサレム。パレスチナ人の移動は、検問所で厳しく制限されている。

「テロ防止」を名目に建設された、巨大な分離壁。高さ8m近い壁が、パレスチナ側の土地にまで食い込み、全長は450キロを超える。
ゲートを抜け、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸地区へ足を踏み入れた。幹線道路沿いには、目を光らせるイスラエル兵の姿が。

イスラエル国旗を掲げた入植地が目に飛び込んでくる。「税金などの優遇措置」を施す政府支援のもと、パレスチナの住民を見下ろす高台への入植が加速している。

看板
「パレスチナに未来はない」
南へ向かうと、のどかな農村が点在している。

ウムアルハイル村。村のすぐそばには、真新しい入植者の家が迫っている。そこで私たちが出会ったのは、突然の銃撃で25年7月、父親を奪われた子どもたちだった。

入植者が村に入り、集落の木をなぎ倒し始めた。何とか止めようとする住民たち。すると…

撮影中に撃たれた英語教師のアウダ・ハサリーンさん(当時31)。その場で倒れ、亡くなった。
残された3人の子どもたち。だが家族には、その死を悲しむ時間すら許されなかった。

アウダさんのいとこ エイド・ハサリーンさん(42)
「彼を殺害した入植者は、わずか3時間で釈放されました。一方で、被害者の家族は軍に逮捕され、軍事裁判にかけられて8日間拘束された人もいます」
明白な映像がありながら、ようやく男を起訴する方針が報じられたのは、発生から半年以上経った26年2月のことだった。














