2016年4月に2度にわたって震度7を観測した熊本地震(死者は関連死含め270人超)から10年。先週に続き、地元テレビ局記者による寄稿をお届けする。今回は、耐震基準を満たしていなかった熊本市民病院が地震で損壊し、機能停止に陥った影響で失われた3人の子どもの命と、その遺族の今の思いについて、熊本放送・ メディア総局報道センターの城島勇人記者(市政キャップ)が報告する(冒頭の写真は地震前の熊本市民病院)。

病院が地震で損壊 今もわからぬ被害の全体像

2016年の熊本地震では、耐震基準を満たしていなかった熊本市民病院(熊本市東区)が損壊し、入院患者310人が転退院を余儀なくされました。また、通院していた患者も行き場を失い、通常の治療が受けられなくなりました。

熊本地震から10年が経過しましたが、転退院した310人がその後どうなったのかについての追跡調査は行われていません。記録として残っているのは、地震から1年後に病院側が転院した200人を対象に実施した調査のみです。

この調査では、200人のうち2人が災害関連死に認定されたことが分かっていますが、熊本市民病院の損壊が与えた影響の全体像はいまだ明らかになっていません。

失われた小さな命

私たちはこれまでの取材を通じて、当時、熊本市民病院の損壊の影響で亡くなった3人の遺族と出会いました。

その一人が、熊本県合志市の宮﨑花梨ちゃん(当時4歳)です。花梨ちゃんは重い心臓病を抱えていましたが、「幼稚園に通いたい」という夢をかなえるため、2016年1月に熊本市民病院で手術を受けました。しかし、術後の容体が安定せず、集中治療室での治療が続く中で地震に遭遇しました。

宮﨑花梨ちゃん(当時4歳)           

病院の機能が停止し、100キロ以上離れた福岡市内の病院へ搬送されましたが、長時間の移動が負担となり、地震の5日後に息を引き取りました。

「命を守るはずの病院が耐震化されていなかったなんて」。最愛の娘を失った両親の悲しみが癒えることはなく、10年経った今も納骨できずにいます。

また、宮崎市の松元葵ちゃん(当時1歳)も、熊本市民病院に入院中に被災し、約1か月半後に亡くなりました。

松元葵ちゃん(当時1歳)

葵ちゃんは生まれつき心臓に病気を抱えていましたが、宮崎には対応できる病院がなく、子どもの心臓手術で実績のあった熊本市民病院を頼っていました。地震で病棟が損壊したため宮崎市内の病院へ転院しましたが、徐々に体調が悪化し、回復することなく息を引き取りました。

「どうすれば葵を助けることができたのか。あの時どう動けばよかったのか、今でも考えています」と語るのは、母親の智子さん(49)です。