“手をつけられない”暴走族を封じ込めた強硬策とは?

2001年、広島県警本部長として赴任した竹花は、着任早々、無法状態を目の当たりにする。

「夜も眠れない街になっている。県民の願いは、暴走族対策以外にない」

竹花は正面から向き合うことを宣言した。そして、前例のない強硬手段を決断する。

パトカーを暴走族の車両にぶつけて停止させる

後年、月刊誌『致知』の取材で、竹花はこう振り返っている。

「世の中は甘くない。悪いことをすれば、社会は厳しく対処する。その現実を少年らにきちんと示す必要があった。熟慮の末、ぶつけてでも止めるしかないと腹をくくった」

広島県警は、危険走行を繰り返す暴走族の車両にパトカーをぶつけ、強制的に停止させ、少年らを次々と逮捕した。

「パトカーが本気でぶつかってくるはずがない」

そう高をくくっていた暴走族の少年らに衝撃が走る。集団暴走は急速に沈静化し、広島の街はようやく静けさを取り戻した。

TBSテレビには、広島の繁華街で暴走族に怒声を浴びせる竹花のニュース映像が残っている。「機動隊」と「暴走族」が激しく揉み合う最前線のただ中に立ち、一歩も退かなかった。

竹花「お前ら、何様だと思っているんだ!」
暴走族「ワレが何様や、ばかやろう!」

現場主義を貫く姿勢は、やがて東京へと舞台を移す。東京都知事・石原慎太郎から「東京で治安を担当してほしい」と頼まれ、2003年6月、現職の警察官僚として初めて東京都副知事に就任した。

竹花は在任中、約3000人の暴力団関係者がいるといわれた新宿・歌舞伎町の「浄化作戦」の指揮をとる。風俗店の一斉摘発を断行し、地域一帯に約60台の監視カメラを設置。捜査と抑止の両輪で、東洋一の歓楽街の治安を立て直した。

広島での強硬策も、東京での浄化も、根底にあったのは同じ信念である。

「法は、弱き者を守るためにこそある」

その揺るがぬ姿勢が、同じ志を抱き、プロ野球界の暴排に取り組む猪狩を後押ししたのだ。