猪狩弁護士を支えた“異色”東京都副知事

猪狩は当初、この情報を警視庁組織対策第三課に持ち込み、著作権法違反での告発を相談した。ところが、猪狩によれば警視庁の反応は冷たかったという。

「確かに先生のおっしゃる通り、犯罪に該当しそうですが、摘発の前例がないのです」(『激突』猪狩俊郎)

猪狩はこれを「優柔不断で、煮え切らない役人気質丸出しの応答」(同書)と受け止め、憤慨する。そこで、気心の知れた人物に相談を持ちかけた。

その相手こそ、猪狩の活動を陰で支えた異色の東京都副知事、竹花豊である。

現職の警察官僚として初めて東京都副知事に就任した人物だ。猪狩は「全国万引防止協議会」でともに活動した経験があり、竹花に信頼を寄せていた。

2003年、急増する少年万引対策をめぐり、竹花は副知事就任直後から、東京の三弁護士会(東京弁護士会、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会)を相次いで訪問し、治安維持への協力を要請した。その際、竹花は猪狩に「知恵を貸してほしい」と相談する。

猪狩はその申し出を意気に感じ、東京三弁護士会との橋渡し役を買って出たのである。

「警察官は刑事裁判で敵対する関係にある弁護士を毛嫌いするものが多いが、竹花さんは治安を守るという目的達成のために、できるだけのことをやろうという情念溢れる姿勢を見せ、弁護士会に協力を要請してきた。私は心を動かされた」(同書)

竹花は兵庫県生まれ。1973年に警察庁に入庁し、大分県警本部長、広島県警本部長、警察庁生活安全局長などを歴任したキャリア官僚である。

その名を反社会勢力に強く印象づけた出来事がある。ここで触れておきたい。それは広島県警本部長時代に下した、ある決断だった。

当時の広島市内は、約400人規模の暴走族が深夜に爆音を響かせて走り回る、深刻な治安状況にあった。少年らは追尾するパトカーに物を投げつけ、棒で叩き、消火器を噴射するなど挑発を繰り返す。現場の警察官は反撃も許されず、挑発に耐えながら疲弊していたという。

1999年11月の秋の「蛭子大祭」では、警戒中の機動隊に200人以上の暴走族が突如襲いかかるという前代未聞の事態も起きた。少年らは「暴走族OB」に「上納金」を納めるために恐喝や強盗、ひったくりを繰り返し、犯罪は増加の一途をたどっていた。住民は騒音と恐怖にさらされ、安眠すら奪われていた。

背景にあったのは、少年法を盾にした暴走族側の慢心だった。

「たとえ逮捕されても、おれたちは少年だがら、大したことにはならない」
「こっちが何をやっても、どうせあいつら警察は何もできない」

つまり、少年らは警察を公然と侮っていた。広島県警をなめていたのだ。