第二次世界大戦後、駐留したアメリカ兵などと結婚し、海を渡った日本人女性がいました。その数は5万人とも言われます。彼女たちは「戦争花嫁」と呼ばれました。異国での差別や偏見、過酷な運命と向き合いながら、生き抜いてきた女性の人生はどのようなものなのでしょうか。
俳優の奈緒さんが、アメリカで取材をし、知られざる「戦争花嫁」たちの半生に迫ったドキュメンタリー映画『War Bride2 奈緒と4人の戦争花嫁』(TBSドキュメンタリー映画祭にて上映中)から、ある一人の女性の壮絶な人生と、子どもへの母の深い愛の物語をお伝えします。
「清水の舞台から飛び降りる勢いで」アラスカへ渡った女性

アメリカ・ワシントン州で、奈緒さんが話を聞いた「戦争花嫁」恵子・ジョンソンさん(90)。
東京の淀橋区(現在の新宿区)で生まれた恵子さんは、1951年、高校1年生のときに、兄の友人でアメリカ軍の立川基地に勤務していた黒人のアメリカ兵、アルバートさん(当時23歳)と出会いました。

とても人懐っこい性格だったアルバートさん。恵子さんは貧しい生活でしたが、家に遊びに来たアルバートさんに、ささやかな手料理を振る舞い、食卓を一緒に囲んでいたそうです。
その後アメリカに帰国したアルバートさんは、恵子さんのお兄さんと文通を続けていました。ある時、アルバートさんから来た手紙を読む兄の表情に変化がありました。
恵子さんが「どうしたの?」と聞いても、お兄さんは喋りません。何かおかしいと思い恵子さんが手紙をのぞき込むと書かれていたのは。
「実は恵子がすきだった」
それから8年半。アルバートさんが再び来日しました。しかし恵子さんは仕事が忙しく、アルバートさんに会う時間が取れませんでした。
するとアルバートさんから連絡があり「恵子、私はあと5日しか日本にいられないんだ。もし結婚してくれるなら早くイエスと言ってほしい」
突然のプロポーズ。当時の恵子さんに特別な恋心があったわけではありませんでした。でも、アルバートさんが住むアラスカの写真に魅せられ「こんな素敵な所に住みたい」と思ったといいます。まさに「清水の舞台から飛び降りる」思いで結婚を決意したと振り返ります。














