死刑執行が続くスガモプリズン

日記を遺した冬至堅太郎

幕田大尉が再審でも死刑だと新聞報道された1949年2月11日、スガモプリズンでは死刑執行のために8人が死刑囚の部屋から連れ出された。翌日、刑は執行されたが、この後も4月に2人、5月に1人、7月に1人、8月に4人が執行されている。9月に入ってからも、3日に2人が執行されたばかりだった。幕田の母トメがはがきを受け取った9月15日、スガモプリズンでは、いつもより遅い時間に1人が連れ出されていた。死刑囚の棟にいた冬至堅太郎がその様子を日記に残していた。冬至は福岡市におかれた西部軍の元主計中尉で、同房者は九大生体解剖事件で死刑囚となっていた鳥巣太郎医師だった。冬至は石垣島事件の死刑囚たちとも親しくしていて、この日は石垣島警備隊の副長・井上勝太郎大尉と、幕田と同じく米兵を斬首した田口泰正少尉が部屋を訪れていた。

井上勝太郎大尉

<冬至堅太郎の日記 1949年9月15日木曜日>
夜は井上勝太郎君と田口君がやって来て、歌の話をした。九時過ぎ訪問時間が終わった。やれやれ今日は誰も曳き出されませんでしたね…とお互いに喜んだ。前にも云った様に執行のために人が連れ出されるのは木曜の夜に限っているので、一週間のうち、この夜が一番嫌なのである。