大津波によって全電源が喪失し、メルトダウンや原子炉建屋(冒頭の写真は現在の3号機)の爆発で深刻な放射性物質汚染を引き起こした福島第一原発事故。あれから15年経つが、事故の影響は依然、現在進行形だ。メディアとしても経験したことがない未曾有の原子力災害。発生当時から今日まで“被災地の今”を伝え続ける地元局、TUF(テレビユー福島)のアナウンサー・記者の渡邊文嘉アナウンス部長が率直な思いを綴った。

取材者も世代交代

まもなく東日本大震災・東京電力福島第一原発事故から15年を迎える。

福島の放送局にとって「3.11」は大切な節目であり、毎年この時期になると、福島ローカルの特番や全国ネットの企画ニュースなど、その対応に考える暇がないほどなど時間に追われている気がする。

あれから15年、報道部には管理職・デスク級を除くと、震災・原発事故取材をリアルタイムで経験した部員はほぼいない。仕事ではなく、「子どもの頃に経験した」という若い部員が数人いる程度。現場の記者は限りなく、聞いた程度しか「震災を知らない」。

それでも地元メディアとしてネタを見つけ、取材をしなければならない。義務感だけになってしまってはいけないとは思いつつも、若手には半強制的に震災のネタを1つ、2つは取材するように指示してきた。それでも、いわゆる「深掘りが必要なニュース」はデスクサイドからネタを預けないとなかなか上がってこないし、そうなってしまうのも仕方がない面もある。

継続取材を続けているネタも、担当者の異動や退職によって、誰かに引き継がせようと思いながらも結局、引き継がれないままになっているケースがほとんどだ。「思い」がないと取材は続かない。それをこの15年で痛感させられた。

「伝え続けること」の難しさ

震災・原発事故の直後から数年間は、「避難区域・津波被災地の復興」「福島第一原発の廃炉作業」「風評被害との闘い」が中心だったように思える。15年が過ぎようとしている今となっても、復興や廃炉作業は継続しているが、毎日のようにニュースで報じられることは福島県内の他局を含めて少なくなった。

福島第一原発の周辺にある「帰還困難区域」については、復興拠点を中心に避難指示の解除が徐々に進んではいるが、福島第一原発のある双葉町では人口の1%にも満たない約200人しか住んでいない状態だ。政府は2023年に「特定帰還居住区域」を設け、2020年代をかけて「希望する住民の帰還」を進めるとしているが、どれだけの住民が戻って来るのかは見えない状態が続いている。

2026年1月 双葉町のJR双葉駅前

その背景には必ず問題があり、伝えなければいけないことは存在し続けているのだが、それを組織全体で「熱量を持って伝え続けること」の難しさを痛感している。