「決断」そして「後悔」
ここで当時の署長としての重大な決断と、その後の後悔について触れたいと思います。
今後緊急事態に直面した場合、警察職員としてどのような決断と対策の実行を求められるのか、何に最も重点を置くべきかを考える際の参考にしていただきたいと思います。
気仙沼警察署の旧庁舎はこの通り以前から大津波が発生した場合、水没する危険性が指摘される川に隣接した比較的海抜が低い地域に立地していました。
そのため、今回の大震災発災時も、高さ約5mの津波に飲み込まれ、1階部分が完全に壊滅状態に陥ったのです。
拳銃・無線機など等を始めとした警察特有の重要装備品が万一流出しては、その後の治安に大きな悪影響を与えるのではないかと恐れました。
しかし、多くの品を住民の避難誘導のためパトカー等の公用車で出動させると、もはや重要物品等を持ち出す時間、そして人員はなくなってしまっていたのです。
ここでで私は大きな決断をしなければなりませんでした。
重要物品をどうするのか、後々冷静になって考えればですね、津波で海水に浸かれば拳銃も無線機も使い物にならず、悪用される恐れは少なく、それよりももっと重要視すべき事柄があったのですが、そのとき、本職は重要装備品等に対するこだわりを捨てきれず、何とかしなければと考えました。
そこで当日の当直長の警備課長を指揮官として当直予定者9名による決死隊を編成。重要物品等を運び上げ、旧庁舎3階で籠城するように命じました。
部下は何の疑問も持たずすぐに指示に従って作業を完了させ、3階に立てこもりました。
そのとき、わずかに残っていた署員は私をしんがりに乗せ、署長車である覆面パトカーに赤色灯を点灯、サイレンを鳴らして最後に署を出て避難誘導を開始しました。
ふとバックミラーで後ろを確認すると、真っ黒な数メートルの水の壁がものすごい勢いで速さで近づいてきます。
渋滞で停車していた車両に、もはや車線等を気にする必要はないので、植物の葉の葉脈のように脇道等を最大限に活用して避難するよう、車載マイクとサイレンを併用して、脇道を使えなどと怒鳴り声を上げながら避難誘導しました。
この時の判断、これは今でも本当にこれで良かったのか。大変な疑問を持っています。
結果として、津波は1階天井部分までで止まりました。
また、逃げ遅れた付近の高齢者の方々を決死隊が次々と引き上げて20数名の命をつつくことにも繋がりました。

しかし、南側に隣接する南三陸警察署の署長はもう駄目だ。装備品なんかどうでもいい。「全員直ちに退避」という決断を下したのです。
南三陸警察署は4階まで完全に津波に飲み込まれましたが、当時の署長の英断で犠牲者を最小限に抑えることができたのです。
あのとき、万一、気仙沼署にも3階を超える津波が押し寄せていたら全滅でした。
また、津波火災が旧庁舎に迫っていましたが、津波は押し波引き波を繰り返し、水位が下がらなかったため脱出不能の状態となったことも本職の寿命を縮めました。
結果的に火災は庁舎には達せず、昭和のローテク庁舎であったことが幸いし、停電しても、ダルマストーブと灯油、刑事部屋のカップ麺の大量ストックなどのおかげで、避難住民も含め低体温症等になることもなく、3日後に全員無事救出事なきを得ました。
ただ当時の決断が果たして正しかったのか、今でも大いなる疑問で、度々夢に現れ、ものすごい寝汗をかいています。

このことをお話したのは、幹部として大災害の発災時等、緊迫した状況下に重大な決断をしなければならない場合、いかに頭に血が上っている状態であっても、冷静さを失わず、合理的に物事を捉え、決してその判断を誤ってはならない。
誤れば未来永劫にわたり、後悔することになるということを力説したかったから
です。














