「超えたくない、弟子でいたい」藤澤清造との出会い
西村さんが「師」と仰いだ藤澤清造は、七尾市出身の私小説作家だ。大正から昭和にかけて活躍し、貧困にあえぐ自身の姿を小説に描いた。最期は東京・芝公園のベンチでの凍死だった。
23歳で初めて藤澤作品に出会った西村さんは、29歳の時から「歿後(ぼつご)弟子」を自称。師の文学全集を個人出版するために奔走した。かつては七尾市にアパートを借りて研究に没頭し、2002年には藤澤の墓の隣に自らの生前墓を建立する。その傾倒ぶりは、単なるファンや研究者の域を遥かに超えるものだった。
2011年、芥川賞受賞直後に師の墓前を訪れた西村さんは、MRO北陸放送の取材に対してこう語っている。
西村賢太さん
「『おかげさまで(賞が)とれました』ということを伝えました。」
記者
「藤澤さんを超えましたか?」
西村賢太さん
「いやいや、そんな。本当は超えなきゃいけないんですけれども、僕はあまり超えたいとは思わない。藤澤清造に関してだけは。(なぜなら)“歿後弟子”でいたいからです。」














