アスリートとしての覚悟が問われた時期

しかし、長野以降長く冬の時代が続く日本のショートトラック界。アスリートとして戦い続けるための覚悟が問われた時期だったと振り返ります。

(ショートトラック日本代表 中島未莉選手)
「中学校から高校までの間で、先輩が他県に進学したり引退したりでスケート人口がすごく少なくなってしまって、本当に自分との戦いという練習が6年続いた」

新型コロナで遠征も思うようにできず、ひたすら自らと向き合う日々。しかし、それはかつてこのリンクで五輪の舞台を目指した平井監督も歩んだ道のりでした。

(岡山SSC 平井貴子監督)
「如何せん一緒に練習できる仲間が少なかったのでやっぱり機嫌が良くなかったり、本当につらいんだなというのはあったので。励ますしかないですよね。時には怒ることもあったけど、しんどいのは分かっているからと言って「やるよ」って」

持てる技術のすべてを中島選手に託した平井監督。その熱意に彼女は必死に応えました。

(ショートトラック日本代表 中島未莉選手)
「選手の思いをすごく理解してくれていて、その中で自分が挫折した時やうまくいかない時でも親身に寄り添ってくれて本当にお母さんのようなすごく大きな存在です」

平井監督は2002年、ソルトレーク五輪で3000mリレーに出場しましたが4位とメダルにはあと一歩届きませんでした。続くトリノ五輪を目指したものの代表に入ることはできず、現役生活にピリオドを打ちます。あれから20年、五輪での悲願は中島選手に受け継がれました。