『ロバと一緒に働き合いたい』その一心からロバを相棒に、全国を旅する元新聞記者がいます。去年11月に、北海道から千葉県を目指して、手作りの塩を売る行商の旅に出ましたが、どんな道中になったのでしょうか。

《相棒はロバ…元記者が「手作りの塩」と歩む900キロの道》
真っ直ぐな道を、ゆっくりと進む姿が見えました。元新聞記者の高田晃太郎さん、年齢は36歳。そして旅の相棒はオスのロバ、名前はクサツネといいます。

この旅に備え、半年ほど過ごしたのが、北海道の日本海沿岸にある八雲町熊石地区。海洋深層水をクサツネと運び、釜で煮詰め、塩を手作り。400袋ほどの『ロバ塩』を用意しました。

道中で出会った人
「え~ロバ塩!熊石のなんだ!」
クサツネと共に『ロバ塩』を行商する旅。去年11月、熊石地区を旅立ち、北海道を南下して函館から津軽海峡を渡って東北地方へ…。青森から岩手、そして宮城へと、荷物をリヤカーに載せて、一歩一歩、旅してきました。
道中で出会った人
「お塩を買うことはできますか」「元気で旅を続けてください」

旅立ちから1か月が過ぎ、宮城県石巻市に入りました。目指すゴールは千葉県。用意した『ロバ塩』の売れ行きも上々のようです。
高田晃太郎さん(元新聞記者)
「塩は残り100弱くらいじゃないでしょうか」
何か大きな目的があるわけでも、誰かのために旅をしているわけではありません。ただ『ロバと一緒に働き合いたい』との思いから、高田さんがクサツネと重ねてきた、とても大切な旅の時間です。
クサツネの健康状態やルートを確かめながら進んでいきます。しかし、起伏に富んだ三陸特有の地形。思うように距離は進みません。
高田晃太郎さん(元新聞記者)
「港まで下りて、また上って、港に下りて、また上って…だから思ったより時間がかかりました、三陸は」

2011年3月11日に発生した東日本大震災。巨大な津波が押し寄せた宮城県石巻市では、震災関連死を含めて4千人近い死者・行方不明者を出しました。高田さんとクサツネが辿り着いた地区は、復興計画に基づき、かつての街並みが海辺から離れ、高台へと移っていました。
高田晃太郎さん(元新聞記者)
「長崎の島原から熊本に渡るフェリーに乗船しているとき、東日本大震災が起きて、船内のテレビで津波の映像を見て、唖然としていました」















