恒子さんは電車の中で被爆し

長女の恒子さんは、友だちとの待ち合わせ場所に向かう、電車の中で被爆しました。気絶していたところを助けられ、翌7日、救護所となっていた小学校に運ばれました。

この小学校の近くに住む友人が、恒子さんを見つけて、家で看病していました。

しげ子さんの手記より
「七日も長女の生死が判明しないので、当てもなく探し歩いたがだめだった。出かけようとしているところへ、長女のお友達が、長女がお世話になっていることを知らせてくださった。私は天にものぼる気持ちで、お友達と一緒にお宅へ急いだ。

長女は皆様のお陰で、どうやら生きていてくれた。死んだと思っていた私を見て、涙をボロボロこぼして抱き合って泣いた。やけども大したこともなく、熱も下がり食欲も出たら元気になるだろうとホッとした。

『妹はどうした』と聞いたので『どうもだめらしい』というと『あんなにかしこい子だったのに私が変わってやればよかった』と泣きじゃくった」