2人の娘の身を案じ…
正午すぎ、市女の1、2年生は広島市沖に浮かぶ似島(現・広島市南区)に避難させたとの連絡を受けたといいます。そして、長女の恒子さんの身を案じていたときにでした。
「姉の方はどうしたろうと案じているところへお友達の1人が『みんな己斐駅でまっていたが葭本さん一人が来られなかったので心配して来てみた』とのこと。私はそれを聞くなり気も狂わんばかりになった」
次女の純子さんは、現在の平和公園(広島・中区)の南側あたりで、建物疎開の作業をしていました。爆心地からの距離はわずか500メートルでした。
作業に当たっていた市女の1・2年生は541人。全員が死亡しました。
似島への避難したという情報もありましたが、純子さんの遺体が、見つかることはありませんでした。














