家族にも語らなかった被爆体験
原爆が投下されて2か月後に撮影された映像に、広島逓信病院でガラスが突き刺さった目の治療を受けている女性の映像が写っています。幟町(現・広島市中区)の自宅で被爆した松下ひささんです。
ひささんの次男・高倉光男さんは、家族の被爆体験を50年間、誰にも語りませんでした。家族にさえも。
1945年8月6日。原爆が投下されたとき、幟町の自宅には光男さんと母のひささん、そして2人の姉がいました。ひささんはガラスを浴びて大けがをし、次女の和子さんは建物の下敷きになりました。














