家族がハンセン病だったと語れなかった
引き裂かれた家族。その被害はさまざまだ。
在日朝鮮人の黄 光男さんは、ハンセン病家族訴訟の原告団副団長を務めている。家族がハンセン病だったと人に話せるようになったのは、つい最近だ。
(黄 光男さん/2016年8月 兵庫県で講演)
「なぜ語れなかったのか。『恥でないものを恥とするとき本当の恥になる』、やっぱり恥としか思えてなかったということなんですね。それで、やっと語り始めた。50過ぎてからですね。今61歳なんですけどね(当時)」
昭和31年に撮られた家族写真がある。黄さんは1歳。この後、両親と2人の姉が相次いで療養所に隔離された。
黄さんは、家族と引き離され、岡山市の育児院に預けられた。














