比嘉富子さん:
「三角の白い旗は世界で認められている降参の印だから、降参と旗をあげている人は殺さないと、おじいちゃんに言われて。いつ撃たれるのか、撃たれるかもしれないと旗を掲げて後ろを向きながら前に」
子どもだけ4人で避難、南部へ
那覇市首里で生まれた富子さんは沖縄戦当時、母親を病気で亡くし、父親と兄弟合わせて5人で暮らしていた。
戦火が迫る中、父・直彰さんは食料調達に出たきり戻らず、残された兄弟4人での避難を余儀なくされる。4人は家を出て、南部方面へ避難することを決意した。














