16日に名護市辺野古の海上で起きた船転覆2人死亡事故で、事故当時の状況が少しずつ明らかになってきました。山下記者の解説記事です。

▼山下記者
2隻は辺野古漁港を出た後、埋立工事現場の淵を沿うようにして進んでいたとみられます。

この赤い線は近くで警備にあたっていた第11管区海上保安本部が確認した進路です。当時2隻は縦に並んで航行していて辺野古崎の沖、2つの無人島の間を通り抜け大浦湾に出ました。

その後Uターンして沖合に出ていった際に高波にあおられたとみられています。16日午前10時10分に「不屈」が転覆。その2分後、助けに向かった「平和丸」もほぼ同じ場所で転覆したということです。



Q:転覆現場映像でみる限り白波がたっていたが、どんな海域だったのか

▼山下記者
海上保安本部によりますと、転覆した場所がサンゴ礁に近く、波が大きくなりやすい海域で、現場で警備にあたっていた職員のカメラ映像にも船が大きな波にあおられている様子が残されていたということです。

Q:船はどういった運航体制だったのか

▼山下記者
2隻を運航する「ヘリ基地反対協議会」によりますと、「平和丸」は20年以上、「不屈」は10年以上市民団体が抗議活動をする際に使われていました。

学校などからの依頼で年に数回ボランティアで学生や生徒を船に乗せて埋め立てが進む辺野古の海を案内していたということです。死亡した金井創さんはこうした船の船長を10年以上務めるベテランで、16日は朝7時半の会議で海の状況は悪くないと判断したということです。

また、船長と生徒21人全員が救命胴衣を着用していたことが確認されています。

Q:当時、周辺海域には波浪注意報が出ていた

▼山下記者
実際、事故当時現場海域ではおよそ4メートルの風が吹いていて波浪注意報が出ていました。ただ出航を見合わせる判断基準は風速7メートルから8メートルだったことから出航可能と判断したとみられます。

海上運送法では料金をとるとらないに関わらず、需要に応じて人を乗せて船を運航する場合は「内航一般不定期航路事業」として国へ登録することが義務付けられています。

ヘリ基地反対協議会はボランティアで運航していたため、この登録をしていなかったと説明していて、今後沖縄総合事務局が調査をする方針です。