では、ツキノワグマはどこからやって来た?

捕獲直後の大分県の調査でもツキノワグマの歯が、檻から出ようとして齧り付いたためなのか、著しく摩耗していることが確認されていて、生きているときに捕獲された経験がある可能性も指摘されていました。

聞き込み調査でも、九州の養蜂家が本州に採蜜に来た際に捕獲したクマを観光施設に譲り渡したという話もありました。

これらのことから、このクマは本州で捕獲され九州に運ばれた後、短い期間で逃亡もしくは山に放されたものではないかと結論づけられました。

このクマは別の時期に別の地方で捕獲されたツキノワグマです。九州で捕殺されたクマもこうして捕獲され、九州まで連れて行かれたのかもしれません。

DNA検査の結果、九州のクマは絶滅。

そもそも「絶滅の基準」とは、「過去50年間前後の間に、信頼できる生息の情報が得られていない」(※)とされています。

1987年に捕獲されたツキノワグマが九州に生息していたクマではないとすれば、その前の確実な目撃例は1957年となります。そのため九州ではクマは絶滅したと環境省も結論づけているのです。
※『環境省レッドリストカテゴリーと判断基準(2020)』より

林野庁『森林生態系多様性基礎調査・調査結果』よりクマのエサとなるドングリが実るブナの木の分布状況です。九州はほとんどの地域が薄い緑色の“分布なし”となっています。第4期とは平成26~30年度までの期間です。

九州にいまクマがいない理由として、九州の山はそれぞれが分断されており、広い面積を生息地とするクマが生きにくかったからのようですが、九州の山は人工林が多く、クマが冬眠する際のエネルギー源となるどんぐりが実らないということも大きな要因となっているようです。

こちらの画像は漢方薬の「熊の胆」です。1991年にはWWFが漢方薬や中華料理の食材として珍重され、高額で取引されていることが世界的なクマの減少の一因となっているとして、日本などアジアでの保護政策と国際取引の監視強化が必要との報告書をまとめたこともありました。九州のクマが絶滅した要因のひとつとして乱獲もあげられています。

1987年に大分で捕殺されたクマは、結局のところ九州のツキノワグマの最後の一頭ではなく、本州から連れてこられた可能性が高く、故郷から遠く離れたところで、一頭でさびしく暮らしていたのでしょう。九州のツキノワグマはもっと前に絶滅してしまっていたのですから。

参考文献:哺乳類科学 50(2):177-180,2010『九州で最後に捕獲されたツキノワグマの起源』