アルペンからの転向…きっかけは1本の電話
須貝はもともと高速系のアルペンスキーで五輪出場を目指していた。しかし、日本にはなかなか高速系のチームは存在せず、2018年平昌五輪の代表入りを逃した。高速系の種目を続けていた須貝に当時の全日本スキー連盟の競技本部長・皆川賢太郎さんから提案されて、2019年にスキークロスへ転向する。「当時、電話で転向を勧められたんですが、そもそもスキークロスという競技を知らなくて…(笑)」と振り返る。
初めて挑んだときは、ほかの選手と同時に滑り出すことに恐怖もあったという。それでも未知の競技へ一歩踏み出し「やってみたらすごく楽しくて。人と競う特性も、コース自体を滑るのも好きになって、今も続けています」と、新たな情熱を呼び起こした。
北京五輪で味わった“第1関節の差”
転向後に迎えた初の五輪は、2022年の北京大会。しかし、ゴール直前での接戦の末、写真判定で“第1関節ほどの差”に泣き、まさかの1回戦敗退。「手1個分くらいの差ならよくあるんですが、第1関節ほどの差は本当に少ない」と振り返る須貝。
「次こそは1ミリでも早くゴールへ飛び込みたい。勝ち上がる側になりたい」と悔しさを原動力に、再び世界の舞台へ。昨年3月の世界選手権では、この種目、日本勢としては初の表彰台入りとなる銅メダルを獲得。世界で戦う実力を確実に示している。2度目の五輪で悲願のメダルへ、雪面を切り裂くように走り抜ける。

















