伝統の田植踊り 継承支えた学生たち

出発から6時間あまり。バスは、日本青年館に到着しました。メンバーたちは、さっそく、リハーサルに向けて支度を始めます。専次郎さんと打ち合わせをしているのは、保存会の今野実永(みのぶ)さんです。 大学2年生のときに、保存会と学生をつなぐプロジェクトを立ち上げた実永さん。この春から大学院に進み、研究をつづけながら、保存会としても活動しています。

その集大成とも言える、今回の大会には、自身も「ササラ」の役で舞台に立ちます。かつては、小さな男の子が演じていたという「ササラ」。その役に合わせて、髪を切りました。

今野実永さん「東日本大震災がなかったら、マイナスなことがたくさんイメージで、イメージというか、実際マイナスなこともたくさんあったんですけど、逆に震災がなかったら、ここの保存会と学生たちが巡り合う縁は結べなかったなというふうに思いますし…」

今野実永さん

リハーサルは、本番と同じ衣装と段取りで行われました。

踊り全体の音頭を取る「鍬頭」は、伹野就斗さんが務めます。学生のときに田植踊りと出会い、この春から保存会に入りました。

伹野就斗​さん「気持ちよかったですけど、あすは多分緊張しているんだろうなと」

客席から見ていた専次郎さんは、手ごたえを感じていました。

専次郎さん「きょうは最高によかった。文句なし。(あすは)立派に披露できると思います。きょうは緊張した人はいないように感じたね。まあ、すんなりと踊ってくれた。最高によかったと思うよ。あすはいまの踊りでやってもらえれば問題ないなというふうに思う」

そして翌日。この日は、南津島の田植踊りにとって、歴史的な日となりました。

本番直前の楽屋で、歌っているのは、大学生を指導している金子祥之准教授です。 金子さんも「種下ろし」と呼ばれる役で、舞台に上がります。

一方の実永さん。今回は家族で参加します。 双子の姉・世実(つぐみ)さんの着付けを手伝うのは、 母の百合子さんです。 父の充宏さんも早乙女として舞台に立ちます。

「鍬頭」の伹野さんも、準備は整いました。

伹野就斗​さん「いままで教えてもらってきた南津島の田植踊りの鍬頭をやれたらなと。全国の方が見ている舞台で、これが南津島の田植踊りだということを見ている人にわかってもらいたい」

メンバーたちは、それぞれの思いを胸に、舞台へと向かいます。

今野実永さん「私自身は、楽しみというかワクワクの方が勝っているんですけど、着付けした子たちの衣装が着崩れないか、それがすごい緊張しています。楽しんできます!行ってきます!」

きのうとは違う雰囲気の舞台。 張り詰めた空気の中、準備が進みます。表では、開演に先立ち、文化庁の担当者が、南津島の田植踊りが置かれた状況を説明しました。幕の後ろで、メンバーたちはこれまでの自分たちの歩みを静かに聞きました。

文化庁の担当者「ご承知の通り、浪江町は東日本大震災、原発事故により、帰還困難区域に指定され、14年を経た現在でも、帰還された方はわずかと聞いております。本日ご出演の保存会のみなさまも、県内外各地にまだ避難をされておられます。今回お招きいたしましたのは、芸能のすばらしさはもとより、それに加え保存会と学生の方々との交流、そして、両者による継承のあり方をぜひ知っていただきたいという思いがあってのことでございます」

そして、幕が開きました。