予科練は少年たちの憧れの的だった
元特攻隊員 横山末雄さん(98)
「防衛費を増やすってことは戦争をやりかねないからさ…威勢よく戦争やってもだめ」
現在の札幌市白石区で、農家の9人兄弟の末っ子として生まれました。

横山末雄さん(98)
「担任の先生からね、『横山お前、海軍甲種飛行予科練習生というのがあるが、受験しなか』と勧められた」
1943年の航空機の搭乗員訓練生通称=予科練の募集案内です。

予科練は少年たちの憧れの的であり、横山少年も例外ではありませんでした。
1943年12月、太平洋戦争中期。学徒出陣により、多くの学生が徴兵される中、横山さんは16歳で「土浦海軍航空隊」に入隊。

”国のために”との思いを胸に茨城へと降り立った横山さんを待っていたのは…
横山末雄さん(98)
「1番難しいモールス、こうやって打つの…角材に『精神注入棒』と書いて『お前2字間違ってたとなったら2発殴る』そんなのがあるからね。ノイローゼで自殺した者もいる」

「教官のしごき」に耐える日々…同級生らから貰った寄せ書きに支えられたといいます。














