■飯星さんが旧統一教会に惹かれた理由

ホランさん:
最初は仕事だったと思いますけど、その後個人として向き合うことになったのは何故ですか?
飯星さん:
スタイリストの女性のことをすごく信頼していましたし、やっぱり共感みたいなものが欲しかったんだと思いますね。それに世の中って人の心も移り変わるし、常識も法律も変わる、何もかも変化していくじゃないですか?言わばグレーゾーンの方が大きいわけですよね、(教団では)そこに判断基準が与えられる。世の中1から10まで全部決まるんですよ。本当に楽、この楽さが気持ちよかったんだろうなって思いますし、だからその楽さに皆惹かれるのだと思うんです。でも、人との繋がりを遮断し、家族にも会わせない、色んな価値観を全部白か黒に決める、これがカルトの世界なんですよ。
ホランさん:
旧統一教会に疑問を持つような心理状態ではなかったのでしょうか?
飯星さん:
そうですね・・・お風呂に入ってると思って下さい。そこにスポイトで一滴ずつ赤い染料を落とします。今日一滴入れただけでは色は変わりません。では1か月後はどうですか?少しピンクかもしれない。でも毎日入っているうちにピンクが普通だと思うようになるんですよ。それがいつの間にか真っ赤なお風呂になっていて、でも本人はもうそれがお風呂の色だと思うようになってしまっている、そういう感じです。
■脱会の経緯 飯星さんが見た父の姿

1992年9月、飯星さんはテレビのレギュラー番組など全て降板し、アメリカへと渡る。すると、この時立ち上がったのが、飯星さんの父でジャーナリストの飯干晃一さんだった。晃一さんは記者会見を開き、娘の奪還を誓う。
ホランさん:
大々的に報道もされましたが、今振り返って当時はどのように感じていたのでしょうか?
飯星さん:
当時はもう、私は逃げるみたいにアメリカに行っていたので、父の会見は見ていないんですよ。でも、教団もどうしていいかわからなくなったのか「実家に帰りなさい」と言われました。「これは教団の問題ではなく、親子問題だから」と。それまで教団からは私を周囲から遮断するため「改宗屋が来て、あなたを鎖でぐるぐる巻きにして、洗脳する」みたいなことを言われていました。家族に捕まったらそういう所へ連れて行かれると。だから夜寝る時はいつでも逃げられるように洋服を着て、靴を寝床に入れて寝てましたね。
ホランさん:
実家に帰ったら、ご家族から「目を覚まして」と言われたわけですよね?
飯星さん:
父は私がアメリカから帰ってくるのを手ぐすね引いて待ってたんですね。新約聖書、旧約聖書、外伝から統一教会の経典と言われる原理講論まで全部読んで私を論理的に論破しようと思っていたんですよね。でも私は全然聞く耳もたないで、「あなたと私は違う人間」って壊れたテープレコーダーみたいに繰り返して、父は万策尽きた様子でした。
ホランさん:
脱会に向け、心が動いたのには何かきっかけがあったのですか?
飯星さん:
ある日、父が私にドライブしないかって言ったんですよ。すごくバレバレな嘘なんですよ。ドライブしないかなんて言われたことなかったですし。それで後から「私に嘘をついた」ってなじるつもりで、ドライブについていったんです。目的地に着くと父がカウンセリングの先生に会ってもらいたくて私に下を向いたまま「会ってもらいたい人がいるんだ」って言ったんですね。その時の顔があまりに弱々しく10歳も20歳も年老いたお爺さんに見えて、その顔を見た時に「あぁ私のせいでこんなに苦しんでいる」っていうのが身にしみて分かったんですね。今まで見たことがない父の姿を見た時に、私を覆っていたものがほどけたんだと思います。
ホランさん:
勉強されて絶対に取り戻すというお父様の姿に心が動いたわけではないんですね
飯星さん:
はい、懇願すれば子供が帰ってくるのではなく、私が心を動かした瞬間は今まで見たことのない父の姿でした。それまで見せてきた父がいくらバージョンアップされても私の心は動きませんでした。180度違う父の姿を見たのが一番大きかったんだと思います。
■旧統一教会からの脱会 最後に残ったプライド

ホランさん:
飯星さんは脱会して仕事に戻った時、失ったものがあったと思いますか?
飯星さん:
失ったもののことはよく分からないんですけど、最後の最後まで残ったのが本当ちょっとお恥ずかしい話しなんですけど、プライドなんですよ。旧統一教会が社会的な問題のある団体と分かった瞬間、「えっ!こんなアホなことしてたの私」みたいな。それを認めるのが1番辛かったです。色んな人に迷惑もかけ大騒ぎして、父もあんな顔になり家族にも迷惑をかけ、友人も散々心配させて、私ってこんなに馬鹿だったんだってことを何かこう認めるのが辛かったです。
でも、私のようにたかだか数か月の人だったら帰る家も、場所も、仕事だってありましたけど、それが5年、10年、15年、20年となると家族のもとにも帰れない、帰ろうにも元いた場所に家はない、家は売って献金してどうにもならない人もいる。第三者の助けが必要なんだと思います。