大相撲のウクライナ出身、安青錦(21)が11月の九州場所(福岡国際センター)で12勝3敗の優勝決定戦の末に横綱・豊昇龍を破って初優勝。場所後に行われた来年初場所(1月11日初日、東京・国技館)の番付編成会議で大関に昇進した。初土俵から所要14場所での大関誕生は、学生出身者らの幕下付け出しを除いた前相撲からスタートした力士では、1958年の年6場所制以降、最速。外国出身者としては87年の小錦から数えて14人目。アメリカ、モンゴル、ブルガリア、エストニア、ジョージアに次いで6か国目、欧州出身者では4人目となった。
先月26日午前、福岡県久留米市の宿舎で師匠の安治川親方(元関脇・安美錦)とともに「吉報」を伝える日本相撲協会の使者を迎えた安青錦は、「謹んでお受けいたします。大関の名に恥じぬよう、またさらに上を目指して精進致します」と口上を述べた。
若貴兄弟以降、大の里の「唯一無二」など、最近まで四文字熟語を使った口上が増えていた。だが、師匠から「自分で考えろ」と言われた新大関は、シンプルに思いを口にした。「難しいことを言っても100%理解できないのは自分に合わない」。外国出身者で日本語が不自由だからというのではない。自らの生き方、信条に沿って言葉を選んで決めた結果だった。
まさに新スターの誕生だ。3月の春場所に新入幕を果たすと、そこから11、11、11、11勝で新関脇に昇進した九州場所では自己最多の12勝。全ての場所で三賞も獲得した。新入幕から5場所での大関昇進は大の里に並んで元横綱・大鵬の6場所を抜き、こちらも最速。入幕後、5場所連続二けた勝利は1場所15日制が定着後初という記録ずくめの快挙になった。
レスリング出身と鍛えた体幹の強さで頭を下げた低い姿勢からの攻めが身上だ。九州場所でもそれが冴えて、序盤から優勝争いに加わったが、13日目に2敗対決で大の里に敗れて3敗に後退した時には、優勝も昇進も難しいと思われた。だが、ここから2日間、若武者が真骨頂をみせた。
まず、14日目。ここまで過去2戦2勝だった豊昇龍を押し出しで破った。両差しを狙ってきた相手の中途半端な立ち合いをおっつけで封じると、そのまま一気に走り、最後は右腕を伸ばしきって勝負を決めた。
そして運命の千秋楽。3人が3敗で並んでいたが、大の里が「左肩鎖関節脱臼」の診断書を出して休場。対戦相手の豊昇龍が勝負をしないまま、不戦勝で12勝目を挙げた。安青錦の相手は、前日にその大の里を破っている大関・琴桜。
組み合って、先に左上手を取られ、差し込まれた右を返されそうになった展開は、「捕まった」ように見えた。頭があがり、胸があっては分が悪い。同じく優勝の可能性があった7月の名古屋場所の千秋楽では緊張で動きが硬くなり、敗れている。しかし、この日は相手が起こしに来る前に仕掛けた。内無双。ビデオで研究してきた得意技が窮地を救った。
ここで、気持ちが晴れたのではないか。支度部屋に戻ってきた安青錦は、正面を見つめ、落ち着いた表情になっていた。勝負直後なのに肩で息をする素振りもない。視線は穏やかで、大銀杏を結い直す間に口から吐いて息も整えた。汗は額を手で拭う程度だ。普段から十分な稽古を積んでいることがはた目にも分かった。「パン、パン、パン」とまわしを強く3度叩き、優勝決定戦の土俵に向かう時には、本割前とほぼ同じ状況に見えた。
そして、4度目となる豊昇龍との勝負も完勝だった。横綱には苦手意識がはっきりと見えた。いつも通りに低い体勢で立った安青錦を嫌がり、引いたところに付け込んだ。すかさず背後に回って、最後は送り投げだ。両手をついて這いつくばる相手の横で安青錦は歓喜の瞬間を迎えた。
戦禍の母国から来日したのは17歳の時だった。荷物はリュックとトランク一つだったという。そこから4年。憧れの相撲界に入った若者は、翻訳機を片手に日本語を覚え、分からないことは素直に聞くという、当たり前のことが当たり前に出来る青年に成長した。彼の強さは身体能力だけではない。全てのことを吸収しようという真面目さ、向上心がその進歩を支えている。
相手には、120キロと小兵の藤ノ川をよく選ぶ。理由は「稽古中は、勝負の決まる最後まで手を抜かないから」。いくら大きい相手でも、自らが全力を出しているのに、相手が中途半端では本当の力はついていかない。苦しい稽古を嫌がらずに、「親方(師匠の元安美錦)のいうことをしっかり守って、自分の相撲を取り切りたい」という信念に揺るぎがない。
それは低い体勢だけではなく、「引き技」を使わない取組への姿勢にも現れている。恐らく、幕内で今、どんな態勢になっても絶対に引かないのは、安青錦1人ではなかろうか。負けても前に出る。変化されても、恐れない。攻め込まれても引かずに、自分の体勢を作り直すことだけに集中する。もちろん、「注文相撲」など、全く考えていないだろう。実に清々しく、潔い。
同じ小兵で、小さな大横綱と言われた元千代の富士は、「体が小さい力士こそ、正攻法でなければ、大関、横綱にはなれない。変化をする者は、必ず勝つ力士にはなれない」と話していた。その千代の富士も関脇での初優勝で大関に昇進すると、11勝した後の昇進2場所目に13勝で優勝次点。3場所目に14勝で2度の賜杯を抱き、横綱に昇進した。最終的には歴代3位の31度の優勝を飾っている。
21歳8か月の初優勝は年6場所制で4番目の若さ。1位は貴花田(後の貴乃花)の19歳5か月、2位は北の湖の20歳8か月、3位は白鵬の21歳2か月と、上にはその後の大横綱しかいない。大関の口上にもあった「更に上を目指す」という意識の強い安青錦。入門以来、一度も壁が来ていない好成績は、今後も続いていくのか。「こんなに安定して新入幕から上がってきた力士は初めて見た。メッキがはがれない。真の強者だ」と話した審判部の九重副部長(元大関・千代大海)の言葉は、多くの角界関係者の本音だろう。
「大関」という協会の看板も通過点にしか過ぎないのか。それとも両横綱を始めとした他の力士が巻き返すのか。新しい年の大相撲界の勢力図がどう塗り替えられるかは、青い目の侍が「鍵」を握っている気がする。
(竹園隆浩/スポーツライター)














