1300年の歴史を持つと言われる二俣和紙。加賀藩の公式文書に使われた和紙はその存続が危ぶまれています。二俣町でただ一人、この道を生業とする職人が今、感じていることとは。


金沢市の東部・二俣町にある工房で黙々と紙すきをする職人・齊藤博さん86歳。この地で60年以上、和紙を作り続けてきました。

齊藤博さん「きれいな紙を作れるようになるのに何十年とかかる。何十年間生活できなければいけない。それは現代では続けられない」

金沢市二俣町


戦後は、地区に数十軒の工房がありましたが、現在、二俣町で和紙作りを生業としているのは、齊藤さんただ一人です。

1300年の歴史があると言われる二俣和紙は江戸時代、公式な文書を記す高級な紙として加賀藩の庇護を受けてきました。現代でも衆議院議長公邸の天井に使われたり、金沢駅の新幹線駅舎の壁紙に使われるなど齊藤さんの和紙は、上等な紙として扱われています。

齊藤博さん「和紙は100年持つ素材です。本物で薬品を使わずに手にかけて作った紙だからこそ」


二俣和紙の原料となる楮は、近くの山で収穫します。こちらが楮の木。地元の自然にこだわります。

齊藤博さん「束にして、窯で蒸して、芯から皮だけ取って、皮が紙になる」


使う水は医王山の湧き水。トロロアオイの粘液を入れてかき混ぜます。

気温が高いと粘り気が出ずらいため、和紙作りは寒い冬に盛んに行われます。


市場では、機械で大量生産される和紙が主流となる中、齊藤さんは昔ながらの手すきにこだわってきました。

紙の厚さに偏りがでないよう、均等に。

長年の経験で培った、職人の技です。


水気を絞ったら、温めた鉄板の上に置いてはけで丁寧に乾燥させます。

この作業を担当するのが妻の奈津子さんです。

妻・齊藤奈津子さん

齊藤奈津子さん「これは乾燥。じぃちゃんがすいた紙を1枚ずつこのように。しわがいかないようにしなければいけない」

齊藤博さん「分業だから。紙すきは私、乾燥は妻、というふうにやってきた。今の言葉で言えば二人三脚」


11月29日、齊藤さんの工房で親子を対象とした紙すき体験が開かれました。

齊藤博さん「紙はみんなの生活の中にたくさんある。ところが、今日はその紙の中でも素晴らしい紙、日本の紙、和紙を作っていく」

本物の和紙にふれてほしい。齊藤さんは紙すきが初めてという子どもたち一人ひとりと丁寧に向き合います。


齊藤さん「ここばかり寄ってるよ、だから真っすぐにして」「しっかり持ってて。ほら、良いようになったよ」

秋らしく紅葉の葉っぱをのせて、世界に一つしかないオリジナルの和紙が完成しました。


児童「楽しかったです(どんなところが?)葉っぱを置くところ」「お家の壁に貼りたい」

母親「やったことなかったので、子供に経験させられて良かった」「楽しかったもんな、連れてきてあげられてよかった」

齊藤博さん「紙ができたら子どもたちは、みんな水が冷たかったと言っていた。自分でいろんなものを上に置いて、『これは世界で一枚しかない紙だ』と言ってあげると、ニコッと笑っていた」


無我夢中で和紙をすく子どもたちを見て、齊藤さんの表情もほころびます。

記者「和紙作りに興味を持ってくれる子がいたらいいと思う?」
齋藤「いやそんなことはない。これは伝統工芸と言うけども、伝統工芸は挑戦する人はたくさんいるが、生計が立たなければ、生活ができなければ続けられない。職人として『これはどこにもない私の和紙だ』という所までいくには何十年とかかるから。難しいところはあると思う」


職人になる難しさ、大量生産・大量消費の社会で和紙作りを生業とする難しさと向き合いながら、職人・齊藤博さんは、紙をすき続けます。