古謝氏は南城市長として「那覇広域都市計画」から離脱。独自の都市計画を立ち上げました。
那覇広域都市計画区域に組み込まれていた旧大里村・佐敷町には、新たな住宅を建築するには厳しい制限がありましたが、独自の都市計画による緩和で、地域の人口は増加しました。
行政手腕には評価も 次第に “強引”に
ベテラン議員A:
「(古謝氏は)国や県に職員を2年間派遣して、独自の都市計画を実現するための理論を構築した。広域都市計画を離脱するというのは、当時全国でもあまり前例のないこと。古謝市長でなければ成し得なかった」
別のベテラン議員は、十数年議論されていた南部6市町の最終処分場建設問題に古謝氏が道筋をつけたと振り返りました。
ベテラン議員B:
「うまく説明できない職員に代わって、自らが矢面に立って説得にあたっていたのをよく覚えている。なかなかできることではないと思った」
しかし、そうした一面も当選回数を重ねるごとに「強引さ」へと変わっていきました。古謝氏が無投票で3選を決めたのは58歳の時。
任期中に60歳を迎え、市の幹部を含め職員が自身よりも年下になったころから、古謝氏に意見できる人がいなくなっていったと、ある中堅議員は話します。














