「公害」は日本全体を覆う問題に

この頃「公害」は国家的課題でした。
四日市では工場の排煙によりぜんそくが多発し、水俣では有機水銀による中毒、水俣病が人々を苦しめていました。騒音や悪臭、地盤沈下なども各地で発生し、国民は豊かさの代償として深刻な環境被害に直面していたのです。
東京では日に日に募る空気の汚染に加え、工場や家庭から出る排水で、海もヘドロだらけになりました。

生活排水はそのまま垂れ流され、こうした泡と悪臭は東京のドブ川の普通の風景でした。

東京湾には悪臭が漂い、普通に道を歩いているだけで白いTシャツが灰色になるなどと言われたものです。

環境庁の創設

政府は1970年前後から公害対策を本格化させました。大気汚染防止法の制定、自動車排ガス規制の強化、そして1971年には環境行政を統括する「環境庁」が設置されました。

国は環境庁、都は公害局で大気汚染、水質汚濁の対策をとりました。

企業にも排出削減や浄化設備の導入が求められ、市民や自治体も監視体制を整えました。こうした努力によって、都市の空気は徐々に改善へと向かいました。

日本は公害対策先進国へ

しかし、問題が完全に解決したわけではありません。現在でも、夏季には光化学オキシダント濃度が基準を超える日があり、注意報が発令される地域もあります。公害は「過去の出来事」ではなく、引き続き注意すべき課題なのです。

東京はたしかにキレイな空を取り戻すことができましたが…。

いま世界、特に新興国では、PM2.5、化学物質リスク、工業化による地盤沈下(地下水汲み上げ)、ゴミ問題など、あの頃の日本の状況を追っているような現象が頻々と起きています。
日本の先進的な環境対策は、世界から注目されているところでもあるのです。