戦後の高度成長時、東京や大阪など都市には高い煙突が立ち並び、クルマも急速に普及し、街には排ガスの流れが絶えませんでした。その結果、かつて澄んでいた空は徐々に濁り、光化学スモッグというモンスターが生まれたのです。(アーカイブマネジメント部 疋田 智)

光化学スモッグの登場

昭和40年頃、東京の空は灰色。それがいつしか常識となりました。
色だけではありません。「光化学スモッグ」が生まれたのがこの頃です。
光化学スモッグとは、工場や自動車から排出される窒素酸化物や揮発性有機化合物が、太陽の強い紫外線を浴びて化学反応を起こし、有害物質が生成される現象です。

主な原因物質は工場排煙と、クルマの排気ガスだったといいます。太陽光の強い夏の日によく発生しました。

白い靄がかかったようになり、目の痛みや喉の刺激、頭痛、息苦しさなどが引き起こされます。特に無風で気温が高い日、都市部で発生しやすいとされています。

学校教育の場で「屋外は禁止」

1970年、東京都杉並区の学校で生徒が体育の授業中にバタバタと倒れ、集団で搬送される事態が発生しました。

生徒たちは目やのどの痛み、頭痛、息苦しさなどを訴えました。当初は何が起きているのか分からなかったそうです。

これが光化学スモッグによる最初の大規模被害として社会に衝撃を与え「空気の汚れ」が全国的な危機として認識される契機となりました。
これ以後、夏の晴れた日には「光化学スモッグ注意報」が頻繁に発令され、屋外活動が中止になる光景が各地で見られるようになりました。

まちなかには「光化学スモッグ注意報」が頻繁に発令されました。

体育の授業などもしばしば中止となり、夏のプールも閉鎖となりがちでした。
七夕の短冊に「こうかがくすもっぐをなくしてほしい」と子供の手によって書かれたのもこの頃です。

1年生の短冊に「こうかがくすもっぐ」が書かれています。(写真:東京都環境局)