クロカンの重要性を認識したのが、大学1年時(当時東海大。3年時から創価大)に足底を故障したときだった。「他に5区候補がいなかったので、(当時東海大コーチだった)瀧川さんとマンツーマンでリハビリトレーニングをやり始めたのがきっかけでした。それまでは関節や骨にダメージが来やすいタイプでしたが、クロカンをやっていくうちに状態が良くなって、箱根の5区で良い走りができました」
吉田は大学1年時の箱根駅伝後に、卒業後はプロランナーの道を選択肢として考え始めたという。当時、プロランナーとして活躍していた選手もいたが、クロカンを続けるために考えたのがプロランナーの道だった。
「実業団チームに入ると練習環境が限られてしまうかもしれません。トレイル(舗装されていない山道や林道、河川敷などを走るアウトドアスポーツ)にも出場したかったので、プロが一番良いのでは、という考えを持ち始めました」
3年時の箱根駅伝後に、プロランナーになる決断を下した。4年時は覚悟が固まり、成績が上向いたと吉田は感じている。「選手として強くなりたいなら、(クロカン中心に練習ができる)プロという立場を自分で作っていかないと、この先やっていけない」
クロカンを最重要視したことで故障が減って成長しただけなく、プロランナーという道を自ら切り拓いていく決断ができた。

















