妻がのちに語った“当時の状況” 遺書ににじむ新井の「覚悟」

捜査関係者によれば、翌朝、すなわち新井が命を絶った当日(2月19日)は、新井の両親が上京することになっていた。

妻は一度ホテルを出て両親を自宅に迎え入れたあと、午後1時過ぎに再びホテルへ戻ったという。カードキーで「2338号室」のドアを開けると、通気口に浴衣の帯をかけ、首を吊った新井の姿があったと説明している。

妻はすぐに秘書と弁護士の猪狩に連絡を入れた。午後1時半すぎ、先に到着した秘書と、新井の遺体をそっと下ろしたという(捜査関係者への取材)。

当時、妻はTBSテレビのインタビュー取材にこう語っている。

「主人はすぐに戻してあげたら目を開けるんじゃないかという感じで、とにかく普通の状態にしてあげて、誰が来てもいつも通りの新井将敬の姿を見せてあげなくちゃいけない――という義務感、責任感みたいなものが先に立ってしまった」
(1998年5月12日放送「筑紫哲也ニュース23」)

妻はさらにこうも語った。

「主人の母にも責められました。皆が駆けつける前に、なぜ息子に対面させてくれなかったのかと。自宅にいたのに第一通報者が両親でなかったということに対して、私の責任で本当に申し訳なく思っています」
「(新井の両親より先に亀井議員らへ連絡したことについては)本会議場で満場一致で『逮捕許諾』が決まる決議が迫っていることが念頭にあり、“そんなことは絶対にさせない”という思いのほうが強かったんです」(同放送)

警察の調べによると、妻が自宅へ持ち帰った荷物の中からも、他の遺書が見つかっている。

宛先は、子どもたち、両親、そして生前世話になった関係者たち・・・。
それは、新井がかなり前から「覚悟」を固めていたことを静かに物語っていた。

(つづく)

TBSテレビ情報制作局兼報道局
ゼネラルプロデューサー
岩花 光

《参考文献》
村山 治「安倍・菅政権vs検察庁」文藝春秋
猪狩俊郎「激突」光文社
読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」 新潮社
村山 治「市場検察」 文藝春秋
村串栄一「検察秘録」光文社
産経新聞金融犯罪取材班 「呪縛は解かれたか」角川書店