■“海部おろし”で総理辞任、新党結党、自民党復党と政党を渡り歩く
1991年9月に自身の肝いり政策だった「政治改革関連法案」の廃案を受け、衆議院解散を摸索しましたが、竹下派の反対に遭い退陣に追い込まれました。

1991年10月5日 海部俊樹総理(当時)
「顧みますと2年前の8月に当時自由民主党が結党以来の危機だと言われ、海部内閣はどん底からスタートしました。政治改革ということを成し遂げて、国民の皆様の信頼を取り戻さなければならないことが大きな課題でありました。私はこの2年間精一杯、一生懸命、力一杯頑張ってきたつもりでございます」「いろいろなことがありましたけれど、今はもう私の胸の中に納めこんでしまったことでありますから、もうここで申し上げることはなにもございません」

総理大臣辞任後には自民党を離党し新党「新進党」を結党して初代党首に就任するなど
いくつかの政党を渡り歩きますが・・・

2003年に再び、自民党に復党しました。

■当選16回49年の政治家人生に幕を閉じ引退へー
2009年8月、衆議院選挙で落選し政界を引退。当選16回、49年の政治家人生に幕を閉じました。

2011年には春の叙勲で「桐花大綬章」を受章。

2022年1月9日に91歳で亡くなりました。
亡くなるちょうど11年前に出演した番組で海部氏は政治家の責任についてこのように語っていました。

海部俊樹氏(2011年1月9日放送「時事放談」)
「政治家の責任というのは、自らの胸に手を当てて、小さい方の自分にもよく相談して、良心に恥じない行動をとるべきですから。今日までやってきたことに対して、ここでいろいろ言ってきたこと、今日までやってこられたこと全部思い出して、私はそういう態度を取るべきだと思う」
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第76・77代総理大臣
海部俊樹(かいふとしき)
在職期間:1989年8月10日~1991年11月5日(818日)
生年月日:1931年1月2日
出身大学:早稲田大学