宿河原堰の爆破作戦

一方、河川流域では自衛隊や警察が救助と家財の搬出に奔走しました。

夜を徹しての救出搬出作戦が「死者ゼロ」という奇跡を生んだともいえます。

しかし、水の奔流を止めなくては被害は広がるばかりです。
そこで自衛隊は水勢を弱めるため、宿河原堰を爆破する作戦を行いました。数回の試みの末、水流は本流側へ戻り、ようやく洪水は沈静化。堤防再建に着手することができるようになったのです。

流れている川の真ん中を爆破。前代未聞の作戦だと言われました。

河川の管理の責任は?

災害の原因をめぐっては、被災者33人が国を相手取り損害賠償を請求しました。
1979年の東京地裁は国の過失を認め賠償を命じましたが、控訴審で逆転。最終的に1992年、東京高裁が「1971年の時点で危険を予見できた」として国の責任を再び認定しました。賠償額は約3億円。発生から18年、訴訟から16年を経ての結末でした。

東京高裁は国の責任を認め、住民側の全面勝訴ともいえる判決となりました。